

井上良二の会の目的
交流と知識共有の場を提供
大学のOBやOGとの交流を目的とするホームページ
井上良二の会は、大学の卒業生であるOBやOGとの交流を深めることを目的としています。これにより、互
いの近況報告や経験の共有、そして人的ネットワークの拡充を図ります。
会計学に関心のある他大学先生方、院生、学生の人たち、実務界の方々との交流
他大学の会計学に関心のある先生方、院生、学生の皆様、そして実務界で活躍する方々との交流も重要な目的の一
つです。この交流を通じて、最新の研究成果や実務の知識を共有し、相互の発展を目指します。
私の近況や財務会計に対する考え方の意見公表
井上良二の会では、私自身の近況や財務会計に対する考え方を公表する場としても使います。これにより、参加し
くださる皆様にとって有益な情報を発信し、さらに深い理解と議論を促進することが出来ることを願っています。
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井上良二のプロフィール
1962年 同志社大学学商学部卒業
1965年 中央大学大学新商学研究科修士課程修了
1970年 中央大悪商学部助手就任,
1971年 中央大学大が行く員商学研究科博士課程単位習得後,中央大学商学部助教授就任
1977年 中央大学商学部教授就任
1977-1978年 The University of Illinois,The College of Commerce and Business Administration
Graduate School (現在のCollege of Business),, Visiting Scholar
1980年 学位取得:商学博士
1987年 日本大学商学部非常勤講師
1990年 滋賀大学教授・同大学院担当 中央大学法学部・商学部非常勤講師
1991年 龍谷大学経営学部及び同大学院経営学研究科非常勤講師(2002年まで)
1992年 同志社大学大学院商学研究科次常勤講師(1998年まで)
1995年 駿河台大学大学院教授、同志社大学大学院非常勤講師、龍谷大学非常勤講師
1998年 千葉大学法経学部・同大学院教授
2002年 龍谷大学大学院教授
2005年 青山学院大学大学院会計プロフェッション研究科 教授
2008年 青山学院大学大学院会計プロフェッション研究科 定年退職
2008年 青山学院大学大学院会計プロフェッション研究科 非常勤講師
2009年 大阪経済大学 非常勤講師
社会活動
1992年度ー1994年度(3年間) 税理士試験委員
1997年度ー1999年度(3年間) 公認会計士第二次試験委員
2003年度ー2005年度(3年間) 公認会計士第三次試験委員
主要著書
『財務会計の基礎理論』中央経済社 1979年
『会計社会学』中央大学出版部 1985年 日本会計研究学会1985年度太田賞受賞
(現在は太田・黒澤賞)
『新版財務会計論』税務経営協会 2008年 現在は四訂版で井上は編者となり、山田康裕立教大学教授,
市川紀子日本大学教授,吉田智也中央大学教授,木村太一慶應義塾大学準教授によって執筆されている。
なお,その他の著書に関してはウキペディア井上良二を参照してほしい。


当時としては珍しく室内犬として飼っていました
獣医の不手際と思うが享年10歳での若死(1989年12月9日死去)。悔いの残る子だった。上の写真は散歩の催促。下の古い写真はちょとぼけ気味ですが若い時期のもので お気 に入りの写真。

我が家の最初のペット
わが家に最初に来たペット犬。北海道犬で熊狩りをするという話しを聞いていたので名前は「ベア」。獰猛だが飼い主には忠実。 自動車を怖がらずしばしば体当たりをしたそんな子でした。 また また、 また、ある日秋田犬に襲われたときに,向こうは離れ犬だったが,こちらは散歩中でリード付のままにもかかわらず 空中戦 さながらのDOGFIGHTをし、その大きな 離れ秋田犬を見事(?)に追い払ってしまった。
告知とお詫び
2022年4月24日
『新版財務会計論』(四訂版)が刊行された。山田康裕,市川紀子,吉田智也,木村太一先生の迅速な改訂作業によりほぼ予定通りであった。編者である井上が病を得て具体的な作業に参加できず,山田・市川両先生に編者の役割を担っていただいた。感謝の言葉もありません。
お詫びしなければならないことが生じました。井上が四訂版の序で書き,その後本文に織り込んでもらった「資産特殊性」の考え方を紹介する際の引用の仕方に不備がありました。ひとえに私の責任でありまして,引用させていただいた論文を執筆された先生方には深くお詫び申し上げます。拙編書の執筆の先生方にもご迷惑をおかけし申し訳なく思っております。そして下記のように訂正させていただきたく思います。山田先生のご尽力でこの訂正箇所・訂正文につきましては発行元の税務経理協会のHPに掲示しております。
本書において,引用の明示が不十分であると判断した個所がありました。下記のとおり訂正いたします。謹んでお詫び申し上げます。
頁等 訂正前 訂正後
55頁5行目 資産特殊性を 「資産特殊性を
56頁7行目 なるのである。 なるのである。」
62頁付記3 以下の詳細については, 以下は,次の文献の172頁か らの引用である(一部,加筆修
正)。
詳細については,


はなび
長男の初代の愛犬
下の二枚は二代目の愛犬「ゆず」

ゆず
長男の2代目の愛犬

2025年2月3日 財務会計システムの構造と機能
一枚目の図表は財務会計をシステムと捉えた場合のシステム構成要素とその結合関係(構造)と矢印による影響関係(機能)を表示したものである。
ただ注意してほしいことがある。これは社会の中に存在する一企業の財務会計システムを表示したものである。この企業が存在していることが出来るのはその社会においては帰属する社会からの存在承認を得ているからである。それを社会から要請される「機能要件(あるいは機能的必要)」を充足しているという。この要件を充足していない場合にはそのシステムは変移するか消滅することが要請される。上図ではこの機能要件は表示していない。しかし,社会から個に対する要請は個にとっては達成することが必須である。したがって,存在することを意識するならば,この機機能要件の達成をシステムに帰属する会計人の目的と位置づけなければならない。以降,この図表を明らかにすることとするが先ずはこの財務会計システムの構成要素を明らかにして行くこととする。以下の論述にいては廣瀬和子『紛争と法―システム分析による国際法社会学の試みー』勁草書房 1970年に大きく影響を受け特に引用をとらない場合でも廣瀬博士の見解であることがありうる事に注意されたい。
システム構成要素中のシンボルは,日常的に使われる概念すなわち経験概念ではなくモデル上で分析的意味(理論的な特定化や操作化,すなわち分析を経て意味を与えられたもの)を持つ分析概念である。廣瀬和子博士によれば,シンボルは二つの特徴によって把握されるという。いま一つはシンボルは「意味の伝達手段」としての特徴である。いま一つは統制象徴としての機能が操作化されることある(上掲書125-130頁参照)。
これに関連して吉田民人氏の興味深い見解がある(吉田民人「社会科学における情報論的視座」 北川,香山,吉田編『情報社会科学への道』 学習研究社 1971年,pp.130-131を参照されたい)。シンボル記号としての情報に関しての論述であるが,吉田氏によれば,三つの機能があるという。
シンボル記号の情報には認知,指令,評価という三つの機能が認められるという。上記廣瀬博士のシンボルの考え方と重なる部分がある。というのは行動の象徴化の過程を経て形成されるシンボルは伝達手段としての特徴を持つとされる一方で,統制象徴機能が認められ,それには,反射的意味と合理的意味及び価値的意味を認めるからである。認知と評価とが含まれるからである(廣瀬125-127頁参照)。ただし,廣瀬博士による価値的意味は経済的価値を一般化しての価値を意味するものではなくそれは合理的意味と関係づけられ,価値的身は真善美の価値的身とされることは注意しなければならない。
しかし,ここではシンボルの中にいずれも価値も含まれているという事実が重要である。よって,吉田氏によるシステム記号としての情報は,ここで考察しているシンボルと同義と考えることが妥当であると思料する。こうして象徴化過程を経て成立したシンボルとして行動様式,条約,法,国内及び国際的慣習,宗教,知識,国内及び国際的道義などが含まれる。会計の関するものとしてはわが国の企業会計審議会による原則等,会計基準委員会の各種基準,会計に関する大蔵省令,国際会計基準審議会によるIFRS基準等の各種基準はここでいうシンボルということになる。
以下では,吉田民人氏によるシンボル記号による情報(シンボル)の三つの機能について考えてみよう(上掲書参照されたい)。
シンボルの認知機能:なんらかの主体が主体をめぐる環境を記号表示することによって,環境の認識を行う(そのための演繹論理,帰納論理,発想法を含む)。
会計システムが環境を取引という形態で記号化して環境認識を行うのはこの機能の利用である。言語というシンボル,というシンボルを約束事にしたがって結合したシンボル記号が吉田氏のいうシンボル記号炉しての情報(この場合は会計情報)ということになる。
シンボルの指令機能:主体がなすべき反応を表示する記号の機能
法,社会的規範,道徳,宗教上の狭義等の主体が反応すべき方法を指示する。
シンボルの評価機能:主体の目的,制御目標の達成にとって望ましいものー望ましくないもの,充足-不充足を判断せしめる機能
行動システムの次の構成要素は利害・利害行動である。
次に上記の図で示した企業活動及び会計人について説明しよう。
図ではイニシャルキック「企業活動」に注が付されている。それによれば、企業は企業活動の目的は営利目的であるとしている。
会社法が制定される以前の旧商法第52条では
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本法ニ於イテ会社トハ商行為ヲ為スヲ業トスル目的ヲ以テ設立シタル社団ヲ謂ウ
②「営利ヲ目的トスル社団ニシテ本編ノ規定依リ設立シタルモノハ商行為ヲ為スヲ業トセザルモ之ヲ会社ト看做ス」と規定していた。会社法の成立を持って削除されたが,第二項は会社の目的が営利にあるということを明示したものである。営利原則こそが重要であることを示したのである。その精神は会社法に引き継がれているものと考えられる。
だが,商法では会社とされており上図では企業とされている。両者はどの様な関係にあるかを明らかにする必要がある。企業の概念は大きく,法人(会社は法人のうち営利法人に属する)と個人事業主が含まれる。したがって企業という場合には非営利法人や公法人を含むことになる。だが,利害の内容を明らかにする目的で企業という場合は営利法人と個人事業主を当面の検討対象とすることにする。そうすることによってここで対象とする企業は営利目的で経済活動を行う個人や会社(株式会社,有限会社,合同会社,合資会社,合名会社)ということになる。
企業の目的は利益を追求し損失(損害)を回避することを本来の行動目的とするといえることになる。これを企業の利害行動を言う。上記の図ではシンボルや役割期待の影響を受けるため当初の利害行動を示していないのではあるが、キックオフおいては純粋な利害行動を想定する必要がある。それがいかに変容していくか関しての一つの研究が藻利重隆『経営学の基礎』森山書店1973年にある。以下ではその理論を跡づけてみよう。
藻利博士よれば、「われわれが経営学の名において追究する企業の倫理ないしその実践原理は、資本主義経営としての企業の歴史的発展のうちに歴史的に理解されうる企業の論理であり、こうした意味における客観的原理として把握されなければならないものである。それは超越的な倫理ではなくて内在的な倫理ないし科学的倫理をなすのである。しかも資本主義経営としての企業の一般的・形式的な実践原理は資本主義体制によって体制的に規定されている営利原則のほかにはありえない」(上掲書13頁)とされる。藻利博士の見解では営利原則は超越的な倫理ではなく内在的な原理であり実践原理であると理解され、歴史的な変容が想定されていることに注意しなければならない。ここでの営利原則は利潤の極大化であるとされるが、初期の資本主義における利潤極大化は個々の取引における利潤の極大化だったと想定される。しかし、経済学の中で有力な生産費法則に見るように「一般に期間利潤の極大化を志向するものこそが営利原則であり、そしてこの営利原則はまさに企業の実践原理をなすものと解されているわけである」(同上18頁)。さらに藻利博士はそれに止まらず「今日の企業における営利原則は長期的営利の原則として、したがって企業維持の原理ないし企業維持原則として新しく展開されなければならない」(同上25頁)と説く。それは営利原則が個々の利益の極大化から期間利潤の極大化へ変化したその営利原則にさらに更なる変化を要求することになる。それは長期的・持続的営利を志向することを要求するからである。「根本的には資本の固定化および労働の固定化にともなう企業・持続化に求められなければならない。しかもこのような企業・持続的存在としての、したがってゴーイング・コンサーン(going concern)としての企業は、展望的実践的には、無限持続的存在として理解され、かかるものとしてその運営が行われることとなる」(同上22頁)。ここでの営利原則は総資本利潤率の極大化である。
藻利博士の営利原則に関する変化は内在的な変化を中心としているが、株式分散の高度化や専門的経営者の出現を直接的契機とするものではないとして彼らの登場による各種シンボルの変化や投資者による専門経営者に対する役割期待の変化がもたらしたものと考えることもできるであろう。投資者の観点からいえば総資本利潤率の極大化が維持され、企業維持が果たされることが彼らにとって好都合であろうからである。
言葉を換えれば、広く社会の観点からみれば等が企業がその社会において存続しうるためには社会の要求にかなうように企業活動が適応しているともいえるであろう。静態分析の観点でいえば、そのような社会の要求に合致できなければその存在が否定されるということである。どう動態分析的には企業は存在し続けるために藻利博士の言われるように企業は変化を遂げ行くことが必要になるのであるこのようなな社会の要請は社会学における構造機能分析においては「機能的必要(あるいは機能要件)」とよび静態分析においても動態分析においても非常に重要なキー概念の一つとなっている。
これまでは経済学および経営学の観点から利害について考えてきた。社会学的には今少し検討が必要である。行動者の第一次的な動機は利益極大化、あるいは損失最小化を希求するであろうが、利益極大化が社会財の獲得にあることに注意しなければならない。社会財には経済財と非経済財とがある。経済財に関しては上述の経済学あるいは経営学によって示されたことと同じであるが、経済財の持つ効用の観点からいえば、プラスの効用とマイナスの効用(これを非経済財という場合もあるので注意されたい)とがありうる。マイナスの効用はプラスの効用喪失、すなわち損害である。そのため両者を合わせて「利害」という。さらに、マイナスの効用と非経済財とは異なることに注意しなければならない。
廣瀬博士によれば「経済財の中には土地、家畜、金銭、家具など有形のものと人間の力や行動など無形のものとがある。非経済財の中には、例えば、名誉、権力、威信、安全、自由などがある」(廣瀬上掲書200頁)。したがって、社会学的は経済財および非経済財のプラスの効用およびマイナスの効用を併せて「利害」という。ここまでは利害を明らかにするためにシンボルおよび後述の役割期待を所与として分析している。利害へのシンボルおよび後述の役割期待の影響に関しては先のシンボルおよび後述の役割期待による影響の分析を参照されたい。
最後の行動システムの構成要素は役割期待・役割期待実現行動である。
すでに述べたように廣瀬博士の研究は国際法に則してのものであり、国家に関連しての役割期待の理論として展開される。だがここでの分析は企業活動およびその企業に属する会計人と関連する役割期待である。したがって、ここでは企業活動及び会計人の役割期待に読み替えて考察する必要がある。「役割システムの機能的必要は、各国家の分業と共同(division of labour and coordination)すなわち役割文化(role differentiation)のメカニズムを通して達成される。具体的には、相互の国家利益(社会財)の承認(配分)、および社会財の生産、交換、分配、消費のメカニズムを通して達成される。これを社会過程(social process)または役割過程(role process)」という。この機能分有の様式、国家を主体としていえば役割文化の様式が定式化(patternize)した場合に、これを規範的な意味で役割期待と定義する。役割期待の集合が、役割システムの構造である」(廣瀬和子上掲書pp.113-114)とされる。
役割期待システムは、次に様に考えられる。行動システム(社会の機能的必要を達成するために利害行動、シンボル行動、役割行動を構成要素とし、それらが相互関連することによって生じた行動のシステム)のこの機能的必要を達成するために、システムを構成するメンバーないし構成要素は相互に関連しあいながら一定の行動をとるが、それは各メンバーないし構成要素の分業と協働、すなわち役割分化によって達成されるのである。この役割分化が定型化することによって、各行動者は相手の行動について、与えられた役割に従って行動するであろうという一定の期待を形成する。これが役割期待である。この「役割期待に基づく行動の純粋型が役割期待行動(role-expected behavior)その相互連関を抽出して形成されたものが、役割システム(role system)である」(廣瀬和子「社会体系分析の基礎」 川島武宣編『法社会学の基礎』法社会学講座 岩波書店 1972 p.67)。
廣瀬博士の見解をここでの会計の世界に導入するならば、次のように言うことができよう。役割期待が影響を与えるのは財務会計でいえば、役割期待を形成する側と影響を受ける側とが関係する。形成する側はステークホルダーであり、影響を受ける側は企業人とりわけ会計人である。形成する側は当該企業に対する機能要求の形を取り、影響を受ける側は役割期待を実現する行動(以下ではこれを役割期待実現行動という)を取ることになる。
わが国では、社会人類学者として高名な中根千枝氏(『タテ社会の人間関係』講談社1967年)の鋭い分析により役割期待(実現)システムの非作用性が主張されえた(拙著『会計社会学』中央大学出版部1984年、第5章を参照されたい)。だが近年ではステークホルダーの社会的地位の変革によって役割期待実現行動の作用性を認めざるを得ないこととなってきているといえよう。
廣瀬博士及び吉田氏が役割システムと呼ぶものをここでは役割期待実現システムと呼ぶこととする。
以上により一般的な行動がどの様な形で行われるかを明らかにした。行動は利害行動,役割期待,シンボル行動の相互作用の中で行われていることオ.を明らかにしたのである。無限に複雑なそのような行動の中で財務会計に関連する行動をどの様に切り取ってくるかを明確にしなければならない,言い換えれば,財務会計の認識対象と認識方法を明確にする必要がある。この点に曖昧さがあると同一の土俵上で相撲を取ることが出来ない。すなわち有効な議論のためには財務会計行動の認識対象と認識方法と特定しておく必要があるのである。その枠組を準拠枠(frame of reference)という。以下それをまず明らかにし,準拠枠によって切り取られた認識対象と認識方法からどの様にして財務会計の理論が形成されるかを明らかにすることにしよう。先ずは準拠枠から始める。
準拠枠
財務会計論における認識対象と認識方法
会計学、その中でもここで関心のあるのは財務会計論であるが、財務会計論が社会科学として成立しているか否かについては、必ずしも一致した見解が存在するわけではない。その一因としてS.C.Yu,The Structure of Accounting Theory(Gainesvill,'Florida:The University Press of Florida,1976,pp.1-2,久野光朗監訳『会計理論の構造』 同文舘出版 1982年、p.1)は会計学では概念枠組(conceptual schema) が明確化されていないことを指摘している。確かに社会科学として成立するためには概念枠組の一致は不可欠である。
しかし,富永健一によれば「現実界から認識界にいわば運び込まれたたくさんの概念(概念化された記号)をそれぞれの概念の現実界における範域を表現する変数(量的変数または質的なカテゴリー分け)としてあらわして、それら相互の間にどのような決定・被決定・相互依存の関係があるかを、データ収集に先立って仮説の形に整理したものである。この意味で準拠枠が認識の原理であるのに対して概念組枠は整序の原理であるということができよう」(富永健一・塩原勉編『社会学原理』有斐閣1975年、p.58)とされる。すなわち認識されたものの整序にとって不可欠であるが,その認識を齎した原理もまた重要であり,それが準拠枠である。通常,学問に対する研究においてapproachといわれるものがあるが,それは実は準拠枠と概念枠組とを含んだものである。
このように概念枠組は科学方法論における理論形成上からは非常に重要なものである。しかし、理論形成にとってそれだけでは十分ではないことは先の引用で明らかであろう。それは整序の原理ではあってもそれ以前に認識の原理が必要であるからである。その認識の原理が準拠枠である。なお、 概念枠組は図式化(概念図式:概念を定義する定義図式および概念相互間の関係を示す分析的定義図式からなる)されるが、これらについては別途明らかにすることとして、ここでは準拠枠について考えよう。
準拠枠
アプローチ(分析方針) 概念枠組
富永健一によれば、準拠枠とは、「本来、知覚心理学の用語であって、例えば、ものの大きさや動きを知覚し、これを判断する場合の根拠として個々人が心の中に持っている関係づけの枠をさす。これを学問的認識の場合に転用したのがここでいう準拠枠であって、これは無限に豊富で多様な経験的事実の中から、何に焦点を合わせ、現実のどのような側面を切り取ってくるかを判断するよりどころとなる、いわば選択の基本原理をあらわしている」(富永・塩原上掲書,p.58)。
ここでは基本的に廣瀬理論をベースにしているから、次のように準拠枠を行為準拠枠として明らかにする。その場合の認識対象は社会科学においては社会現象であり、その社会現象は人間の行為(行動と同義としておく)によって生ずると考え、直接の認識対象を人間行動とすることになる。その認識対象である人間行動の「何に焦点を合わせ、現実のどのような側面を切り取ってくるか」を示すために行為準拠枠として以下のことを検討することになる。以下、廣瀬和子博士の見解を(「社会体系分析の基礎」、川島武宣編『法社会学の基礎 岩波書店1972年』)明らかにしよう。
1 システム行動の概念
2 それらに基づく行動者の概念
3 構造の概念
4 機能的必要(機能要件)
5 機能の概念
6 行動システムとその下位システム
1 システム行動の概念
「行動(action or behavior)とは、行動者または行動単位が外部からインプットを受け、それに対応して 外部に対してあるアウトプットを与えることである」(廣瀬上掲稿 p.37)。これを関数の形式で示せば、インプットをⅹ、アウトプットをyとすればy=f(x)と示すことができる。行動は行動関数として表示されるが、行動者個々人の行動様式は当然なことに異なりうる。この行動様式は関数においては行動関数として示され、関数型f( )で表現される。この個々人の行動関数の集合が行動者となる。廣瀬博士は「行動者は行動関数の集合と考える」(廣瀬上掲稿p.38)とされている。
個々の行動関数の集合としての行動者は、必ずしも個々人に限定されるのではない。集団、国家などもまた、行動者と見られるし、後述の行動システムの各下位体系も行動者とみなされることに注意しなければならない。このような意味での行動者が他者と関係を取り結ぶ時、例えば、行動者が行動者Eに自らのアウトプットを与え、行動者AはEのアウトプットを自らのプットとした上でアウトプットをEに伝える時、そこには相互連関関係が生ずる。xをEのインプット、yをEのアウトプットとすればEの行動関数はy=f(x)と示すことができる。また、AはEのアウトプットyをインプットとし、EのインプットⅹはAのアウトプットであったから、Aの行動関数はx = g (y)と表現される。両者間での相互連関関係は、連立方程式で与えられることになる。
この相互連関関係は,①境界が確定していること,②確定した相互連関の型が抽出できると言う二つの条件が充足される時均衡システムと言われる。第一の条件は,集合論上の基準点すなわち構成要素であるかどうかの明確な基準が存在することを要求するものである。第二の要件は三つの条件に分けられる。第一は,制限条件の数が一意的に定めうるに十分であること(均衡条件),第二,均衡解が存在するとしても,それが有意味でなければならないことを(存在定理),第三は,均衡解が安定なもの,すなわち,初期値のいかんにかかわらず均衡解に収束し,また偶然,均衡解から離れることがあっても必ず均衡解へ復帰するものであること(安定条件)である(広瀬博士前掲稿,pp.40-41参照)。
第二の条件の第一(銀行条件)までを充足する相互連関関係をシステムという(廣瀬上掲稿p.41,参照)。第二の条件の第二点第三はてん変動理論において有用性を有する定常状態の分析では十それら第二,第三は充足されているものとみなし,均衡条件までが問題とされる本書も原則的には定常状態の分析にとどまらざるを得ないため点均衡条件のみを問われることになる。
では,このようなシステム概念と行動の概念の下で構造,機能的必要(機能要件)および機能は何か。「システムは,各行動者の行動関数,すなわち全行動者のインプット,アウトプットを表す変数に対する制限条項の集合として,数学的には連立方程式として表現された。この制限条件の特徴すなわち関数型の集合をシステムの構造という」(広瀬上掲稿p.45)。上述のように,行動関数の集合が行動者であり,y=f(x)というxとyとの対応関係の型が関数型と言われた。したがってこの各行動者の関数型の特徴こそが各行動者の特徴を表現するものであった。システムはこのような関数型を持った各行動者が均衡条件までを充足するときの相互連関関係いうのであった。このシステムでは各行動者がインプットあるいはアウトプットを相互に交換するのであった。すなわち各行動者間には一定の結合関係あるいは結びつきの配列の仕方が存在することになる。それゆえに,システムをインプットは,この結合形態あるいは配列の仕方を通じてアウトプットを生み出すことになる。ここでは,システムのインプットをWとし,アウトプットをZとすればZ=φ(W)という対応関係が示されなければならないであろう関数型φ()は各行動者間の結合形態あるいは配列の仕方の集合でなければならないのである。これこそがシステムの構造である。広瀬教授は各行動者間のインプット,アウトプットの結合形態あるいは一定の配列の仕方をシステムの関数型としてとらえこれこそが分析概念であるとされるのである(広瀬上掲稿,p.45,参照)。
しかしこのように述べるとシステム内部に存在する構造のみが問題とされていると誤解される危険があるまるしかし点が異性変数もまた関数系の形成に影響を与えるマルしたがって外出性変数も当該システムに関係する限りにおいて点したがって関数系を固定する要因である限り構造の一部を構成しているとする点に注意すべきであろう(広瀬,上掲稿,p.46.参照)。
大の分析概念たる機能的必要(機能要件)を明らかにしよう。「システムEには,その行動を方向づける目的(object)ないし目標(reference)があると仮定する。……これらの目的および目標を,社会学の一般的用語に従い『機能的要請』(functional imperative)と呼ぶことにする」(廣瀬,上掲稿,p.49)。ここでの目的とは,行動者としてのシステムがその達成を意識して内部の相互連関を制御する場合に用いられるものであり,目標は,その達成が意識されず,したがって,制限されないか,別の目的が意識され,それに向かって制御されている場合に,意図されていなかった結果としてその目的が達成される場合に用いられる(廣瀬,上掲稿,p.49.参照)ものである(なお井上はこれを区別していない).
第五の機能は,この機能的必要と異なるものであることに注意しなければならない。下図のような相互連関関係で言えばxはシステムEのアウトプットであるが同時にシステムAのインプットである。このとき,xはシステムEのシステムAに対する機能とよばれる。したがって点,yはシステムAのシステムEに対する機能と言われる。このようなインプット,アウトプットの関係を機能と言うのである。」(広瀬,上掲稿p.51参照)。なお,この機能の概念は井上の機能の概念とは異なる。井上はこれを貢献と名付ける。拙著『会計社会学』中央大学出版部,1984年第4章を参照されたい。
第六の分析概念は行動システムおよびその他会体系である当店行動システムは、パーソンズの行為体系が経験概念である事から分析概念として再構成したものである。行動システムを明らかにするためには、まず、その下位システムを明らかにする必要がある。けだし下位システム間の相互連関の理論的特定化によって行動システムが明らかにされるからである。行動システムの下位システムは、利害システム、役割期待(実現)システムおよびシンボルシステムである。なおこれらそれぞれについておよびそれらの相互連関関係についてはすでに述べたところである。
認識された対象を整序するための概念枠組としてここでは仮説演繹法を取り上げてみよう。
仮説演繹法
上記2枚目の図1(American Accounting Association,"Report of the Committee on Accounting Theory Construction and Verification," The Accounting Review,1971,Supplement, p.58,p.77 and p.448および上掲し,また図2でも示したS.C.Yuの著書 p.24,訳書p.18を参照して加筆修正の上作成したもの)は仮説演繹法の全体を表示したものである。z2は図1の左下から右上の産出までを表現したものである。観察水準の事実が未だに理論水準の達することなく知覚表象の段階で未だ曖昧で十分な解明が行われていないことを示し,全科学的概念が帰納やabductionによって構成概念に昇華される段階,図1で言えば,投入に至までの段階を示している。それが図1の投入の段階に至ったものは図1では公準,解明過程後の解明項である構成概念および定義である。
それらは演繹過程の論理的過程(構文論的操作)を通じてリターン・リスクとなる。図2はここまでのプロセスを表現したものである。図1は子乗り構成概念の理論的関係による結びつきである理論を観察水準の事実と突き合わせ検証することを示している。理論が事実との整合性を持ちうるならば,その理論派事実の下位解明を達成したこととなり,いわゆる事実解明理論と称されることになる。
過去に書かれた戯れ言
2020年11月
繰延資産――具体的考察2
本年8月に繰延資産の基本的な性格を考え,翌9月には繰延資産の具体的な問題を考察するつもりであった。しかし,体調不良で十分に論じきれないまま終わってしまった。81歳の誕生日までにこのやり残し「負債」を返済しておきたいと思った。
ここでは,まず,これまでの考え方のまとめをした上で,具体的項目について考えてみよう。その際「混合(測定)属性システム(=時価会計)」において,資産に関する基本的な考え方は,IFRSの概念フレームワークを前提に据えて検討することにする。ここでまず,考えるべきことはIFRSでは,資産は経済便益(これを利益と名付けている)を産み出す潜在的能力を持つ権利であり,それは経済的便益を化体した経済的資源に対する権利であると言えるだろう。この権利は「法によって保護される利益(経済的便益-(注) 井上)としての権利」であるとされることから,背後に「取引契約」の存在が想定されていると言える。そこでの取引契約は具体的には,売買契約,交換契約,使用契約,譲渡契約等である(9月の「戯れ言」を参照されたい)。このことから明瞭になるのは,必ず契約の相手が存在すると言うことである。と言うことは,1対1,1対多,多対多の契約を含んでいることになる。言い換えれば,相対取引もあり得れば,市場取引もあり得ることになる。そうであれば,売手が取引時点で受け取り,しかもそれが満足できる主観価値(キャッシュ・インフローの割引現在価値)と買手のその財(財貨/用役)を取得して将来時点で受け取りうると想定する経済的便益(将来キャッシュ・インフロー)の取引時点での割引現在価値(主観価値)が一致すれば,取引が成立する。買い手の側ではそれが取引時点でのキャッシュ・アウトフロー(支出=取得原価)と言うことになる。さもなければ取引は不成立となるはずだからである。繰延資産の取得に関連して言えば,取引契約の結果としての買手の経済的便益に対する権利は買手の主観価値が客観価値に転化して成立することになる。だが,それは取引時点の正にその一点でのことであり,相対であれ一般市場であれ,均衡価格がその後いかに変化しようとも転売の目的を持たない限り購入者にとってその変化は何の意味もない。すなわち,取得した経済的資源は資産汎用性を持っていた経済的資源が当該企業とって「資産特殊性」を持つ権利・経済的資源へと転化したことになる。このような観点から具体的な項目の検討をしてみよう。その資産性の判断規準は,(1) 経済的便益(最終的には将来キャッシュ・インフロー)をもたらすか(経済的便益を確定的にもたらすものに限るのか蓋然性の高いものをも含むかについて厳格な検討が必要であろう),(2)経済的便益に対する権利は売買,交換,利用,譲渡等の法的な取引契約を基礎としているか,(2)取得原価が将来の経済的便益の割引現在価値を表現し得ているか,であろう。なおこれらは必要条件であるからすべてを充足する必要がある。
まず第1は,株式交付費,社債発行費,創立費,開業費である。これらは株式の発行を可能とし,企業を創設させ,営業の開始を可能としたものである。それに伴い企業は資金を調達でき,創業し,開業を可能としたものである。しかし,これらによって取得した経済的便益は既に費消されてしまっている。と考えるならば,それらは産み出される将来の利益(経済的便益)とは直接の関係はない。それは資金を運用するという別の活動,あるいは企業活動によって新たに産み出されるものである。例えば株券を印刷したり,目論見書を作成してもそれだけでは将来の経済的便益とは直接関係を持たないと言うことである。こうして,第一の要件を充足しない。よって,資産性を持たない。
第2は,開発費,研究開発費である。企業会計基準委員会の「実務対応報告第19号」によれば,新技術又は新経営組織の採用,資源の開発,市場の開拓,生産効率の向上又は生産計画の変更等により設備の大規模な配置換を行った場合等に支出した費用であるとされ,支出時の費用計上を原則とするが,繰延資産として計上することも許容している。これらの支出によって得た財が経済的便益を齎しうるかであろうか。新技術の採用,資源の開発,市場の開拓等に関して言えば,それらが将来の経済的便益を齎す可能性はあろう。すなわち,第一の要件を充足する可能性はある。しかし,それらのうち市場の開拓,資源の開発については現在の法的権利を裏付ける取引契約が明示できるか否かについては疑問が生じ得よう。
この開発費に関しては「研究開発基準」において変更が図られた。それによれば,「新しい知識の発見を目的とした計画的な調査及び探求」を「研究」とし,これを資産計上することは認めず,さらに「新しい製品・サービス・生産方法についての計画もしくは設計または既存の製品等を著しく改良するための計画もしくは設計として,研究の成果を具体化する」ものを「開発」とし,これもまた資産計上を否定する。
IAS38は,「事業ベースによる生産または使用の開始以前における,新規のまたは大幅に改良された材料,装置,製品,工程,システムおよびサービスによる生産のための計画または設計の,研究成果または他の知識の応用」を「開発」ととらえる。一定の基準をすべて充足する場合にのみ,この開発から生じたものは無形資産として計上しなければならないとする(para59)。その一定条件は以下のようなものである。IAS38はいう。研究開発費のうち一定の条件を充足する場合の開発費は資産性を認める。その条件の内容は完成させる技術上の実行可能性(feasibility),それを使用または売却する企業の意図,使用または売却できる能力保有(ability),市場の存在または使用の場合には有効性の立証,完成後使用または売却に必要な技術上,財務上およびその他の資源の利用可能性,測定可能性である。IAS38ではこれらは,この「戯れ言」で示したIFRSの概念フレームワークにおける資産の要件,とりわけ取引契約を背後においての実現性の高い蓋然性をも含んだ具体化とみることができる。しかし,それは資産性を示すものであるが,IAS38はそれを「無形資産」とする。よって,「繰延資産」ではないことに注意しなければならない。
以上の観点から言えば,混合(測定)属性ステム(時価会計)の場合,繰延資産として計上する資産はないことになる。それはなぜであろうか。実は,この計算体系下では,それは論理必然性を持つと言える。なぜならば,繰延資産は取得原価主義会計の下でこそ意味があるものであり,混合(測定)属性ステムの場合にはその必要性を認めないからである。取得原価主義会計はしばしば「平準化システム」であると言われる。この平準化システムの意味は利益操作を想定しがちだが,それを意味するものではない用語であることに注意すべきである。周知のように,取得原価主義会計は基本的には損益計算重視の計算体系である。その場合の損益計算は,W.A.Paton & A.C.Littletonが『会社会計基準序説』で明らかにした{努力と成果の対応}を通じての利益の計算が主目的である。企業努力とその成果をその他の要因の作用によって真の純成果を混濁させてはならないのである。したがって,費用の問題で言えば,多期間にその効果が及ぶべき支出は一期間の費用とすることなく努力と成果の対応の観点からは平準化して,努力と成果による利益を真の努力と成果による利益を表現するため努力と成果に直結しない費用を真の利益の増減に作用させない工夫である。これを費用の中立化という。 取得原価主義会計の論理はこの意味で繰延資産を不可欠のものとしたのである。だからこそ,経済的便益の増減を認識・測定の対象とする混合(測定)属性ステムの場合には,経済的便益の増減に関する,時期,金額,不確実性を重視するのであって,繰延資産の存在は必然とは言いがたいものとなるのではないだろうか。
10月に11月以降の「戯れ言」を一時中断するとしましたが,冒頭に書いたように,81歳を迎えるにあたって遣り残しはしたくないという思いに到りました。繰延資産とされていたものの中には,当初は,1,2の繰延資産ではなくても資産性のあるものがあるのではないかと考えていましたが,結果的には,経済的便益をもたらす高い蓋然性を認めても1つになってしまいました。そこに至って,混合(測定)属性ステム(時価会計)における繰延費用の存在の非必然性を述べることに躊躇する必要がなくなりました。ただ,毎日少しずつ前日までに書いたものを検討することなく追加だけをする形で書いていきました。一気に書き下ろしたものではないので,全体としての斉合性に不安が残っています。お気づきの点あれば指摘してもらえれば幸いです。
戯れ言



妻が愛したうさぎのクー
花を手折るの図
