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4月10日に久々に姿を見せた富士山​

5月  皐月 さつき)

OBと財務会計論の議論に関心を持つ人たちとの 交流の場 

 

Very Welcome to “Inoue Ryoji no Kai” Home Page

 井上良二の会は、中央大学商学部および大学院、滋賀大学経済学部および大学院、駿河台大学経済学部および大学院、千葉大学法経学部および大学院、龍谷大学大学院、青山学院大学大学院会計プロフェッション研究科で教鞭をとった井上良二が教え子(OB)とのコミュニケーションの場を設けるという気持ちで開いています。もともとは中央大学商学部および大学院商学研究科のOB会である「良二会」のHPでしたが、それを発展的に解消して作成し、現役時代の履修生、古くからの友人、知人、たまたま訪問してくれた方との意見交換、また新版財務会計論にこのURLを記載したことから読んでくださった方々からご意見を拝聴したり、意見交換や誤字・脱字のご指摘による訂正にも役立っているものです。作成者は井上ですがメールでの意見交換は相当数あり、もう少し頻繁にリニューアルする必要は感じていますが、「体力」「知力」が追いつきません。本の改訂に関して多くの方々からのご要望をいただいていますが、本の内容等に関する改訂はメールでのやり取りと異なりアドホックな対処ではなく。体系的に斉合性をとりながらやる必要があります、ですから現在の病状を勘案すると協力者をえられない限りかなり困難だと思っています。このHPの改定も月に一回程度しかできないのが現時点での悩みです。

 

  チャットは出来なくなりました。お許しください。
 

井上良二のプロフィール
略 歴

1958年 静岡県立韮山高等学校卒業
1962年 同志社大学商学部卒業
1965年 中央大学大学院商学研究科修士課程修了
1967年 中央大学商学部助手
1970年 中央大学大学院商学研究科博士課程単位修得,中央大学商学部専任講師・助教授を経て
1977年 中央大学教授
1977-1978年 The University of Illinois, The Co
llege of Commerce and Business Administration Graduate school visiting scholar(現在のCollege of Business:(US NEWS大学院ランキングによれば会計学では全米第2位とされている)(US News Best Grad Schools Ranking 2019)https://www.usnews.com/best-graduate-schools/top-business-schools/accounting-rankings

でページ中頃右にあるPrograms & Specialtiesのaccountingの分野に入ってください。

1980年 中央大学大学院修士課程担当
1980年 学位取得(商学博士)
1982年 中央大学大学院博士課程担当
1987年 日本大学商学部非常勤講師
1990年 中央大学 退職
1990年 滋賀大学教授、同大学院担当 中央大学法学部・商学部非常勤講師
1991年 龍谷大学経営学部および同大学院経営学研究科 非常勤講(2002年まで)
1992年 同志社大学大学院商学研究科 非常勤講師(1998年まで)
1995年 滋賀大学 退職                      
1995年 駿河台大学教授、同志社大学大学院非常勤講師、 龍谷大学大学院非常勤講師
1996年 駿河台大学大学院担当
1998年 駿河台大学 退職
1998年 千葉大学・同大学院教授、龍谷大学非常勤講師
2002年 千葉大学 退職
2002年 龍谷大学大学院教授
2005年 龍谷大学大学院 退職
2005年 青山学院大学大学院会計プロフェッション研究科 教授
2008年 同大学院同研究科  定年退職
2008年 青山学院大学大学院会計プロフェッション研究科 非常勤講師
2009年 大阪経済大学大学院 非常勤講師                           
専門分野/研究テーマ
専攻分野: 会計学(特に財務会計論)

 

 

研究テー

 

(主) 会計社会学 
 学問的関心は会計という行動を研究対象として会計行動がどのような要因に規制されながら行われるかを研究する分野に関してであり、 経済学に基礎づけられた近代社会学の一般理論を会計学に適用することによって経営者の会計行動を解明することを目的にするものです。ですから、研究テーマ は経営者会計行動論でした。

 

 (従) 制度会計論

  内外の制度に関わる会計及び会計理論の研究

 それらに関する著作は以下の通りです。

主要著書
①財務会計の基礎理論 中央経済社 1979年
②会計社会学 中央大学出版部(日本会計研究学会1985年度太田賞受賞、現在は太田・黒澤賞) 1985年
③最新財務会計論 中央経済社 1993年
④財務会計論 新世社1994年
⑤財務諸表論 税務経理協会 1994年
⑥新財務諸表論 税務経理協会 1999年
⑦財務会計論  税務経理協会 2003年
⑧新版財務会計論(初版) 税務経理協会 2008年
⑨新版財務会計論(改訂版)2014年4月1日

⑩新版財務会計論(三訂版)2019年11月1日

⑪新版財務会計論(四訂版)2022年5月1日


 論文等その他についてはウキペディア(Wikipedia)井上良二の項、あるいは

論文等の詳細(PDFファイル)

 http://pub.idisk-just.com/fview/OZ8lprcV4O6ZUI0w2MYTC9RYSXcmdct48TkjPaPR79KRJC1xzur3dIU-qMD4Mz0X

に記載されています。ご参照ください。

所属学会等
①日本会計研究学会 評議員(2000年まで)2017年退会
②A.A.A.(米国会計学会)2014年退会
③日本地方自治研究学会理事(1998年まで)退会
④日本社会関連会計研究学会理事(2002年まで)退会


学外での活動
◯ 1992年度~1994年度(3年間)        税理士試験委員
◯ 1997年度~1999年度(3年
間)        公認会計士第二次試験委員
◯ 2003年度~2005年度(3年間)     公認会計士第三次試験委員

 
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我が家の最初のペット

わが家に最初に来たペット犬。北海道犬で熊狩りをするという話しを聞いていたので名前は「ベア」。獰猛だが飼い主には忠実。 自動車を怖がらずしばしば体当たりをしたそんな子でした。 また また、 また、ある日秋田犬に襲われたときに,向こうは離れ犬だったが,こちらは散歩中でリード付のままにもかかわらず 空中戦さながらのDOGFIGHTをし、その大きな 離れ秋田犬を見事(?)に追い払ってしまった。

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​当時としては珍しく室内犬として飼っていました

 獣医の不手際と思うが享年10歳での若死(1989年12月9日死去)。悔いの残る子だった。上の写真は散歩の催促。下の古い写真はちょとぼけ気味ですが若い時期のもので お気に入りの写真。

​告知とお詫び

2022年4月24日

 『新版財務会計論』(四訂版)が刊行された。山田康裕,市川紀子,吉田智也,木村太一先生の迅速な改訂作業によりほぼ予定通りであった。編者である井上が病を得て具体的な作業に参加できず,山田・市川両先生に編者の役割を担っていただいた。感謝の言葉もありません。

 お詫びしなければならないことが生じました。井上が四訂版の序で書き,その後本文に織り込んでもらった「資産特殊性」の考え方を紹介する際の引用の仕方に不備がありました。ひとえに私の責任でありまして,引用させていただいた論文を執筆された先生方には深くお詫び申し上げます。拙編書の執筆の先生方にもご迷惑をおかけし申し訳なく思っております。そして下記のように訂正させていただきたく思います。山田先生のご尽力でこの訂正箇所・訂正文につきましては発行元の税務経理協会のHPに掲示しております。

 

本書において,引用の明示が不十分であると判断した個所がありました。下記のとおり訂正いたします。謹んでお詫び申し上げます。


頁等       訂正前            訂正後

55頁5行目   資産特殊性を        「資産特殊性を
56頁7行目   なるのである。       なるのである。」
       62頁付記3   以下の詳細については,               以下は,次の文献の172頁か                                                                        らの引用である(一部,加筆修   

               正)。

                  詳細については,


2022年4月25日
井上良二・山田康裕・市川紀子・吉田智也・木村太一
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                              上の写真は掃部山公園の黄梅・白梅・紅梅の競い咲きです。

 

            近況報告と雑感

 

2               2024年5月

  今月の近況報告は大幅に遅れてしまいお許しください。

     4月28日,56年間共に歩んできた最愛の妻,可乃を失った。

 4月上旬のことだった左脇腹が時々痛むということでかかりつけ医,整形外科,消化器内科の先生に診てもらったがだれもが病源を指摘してくれなかった。同じマンション一階にある呼吸器科の先生にお願いしてけいゆう病院への紹介状をもらい,診察を受けたが,胃の内視鏡からの検査を入れてきた。それはすでに消化器内科で組織をとり現在組織検査に回っていると事前に伝えたにも拘らずであった。診察予定表を見て抗議し,緊急にCT検査をしてほしいと頼み,その日のうちにCT検査を受けた。朝8時過ぎに病院を訪れCT撮影が行われたのは17時。

 CTの結果は膵臓癌,脾臓の半分への転移,リンパへの転移が認められ,ステージ4との診断であった。持病の間接性肺炎との関係,糖尿病との関係もあり,抗がん剤の使用は効果なく,選択肢は,一つ。「緩和ケア」。本人の公証人立ち会いの下で作成されていた尊厳死宣言に適うものであった。そして入院後ほぼ2週間で他界してしまった。

 皮肉なことにペットロスのことを先月の近況報告で書いたが,今苦しんでいるのは伴侶ロス症候群である。これを書きながらも涙が止まらない。文字がぼけて読み取れない。

 葬儀は本人の公正証書遺言にしたがい,家族四人だけでの家族葬を執り行い,遺骨は本人の意志に従いわたしの死去を待ち,わたしの遺骨とともに納骨することとなっている。

 今感じるのは,妻の存在の大きさと死期を告げられても淡々とそれを受け入れていたあの精神的な強さであった。わたしの人生はそれによって支えられ,リタイアー後にわたしの人生は最高であったと妻だけでなく多くの人に伝えることが出来た。本当にありがとう。

 今の楽しみはいつ妻がわたしを迎えに来てくれるだろうかと言うことである。

 もしお願いできるならば,OB諸氏嬢,このHPを通じて知り合った諸氏嬢にお願いします。わが家は完全な無宗教ですので仏壇はおろか線香の一本もありません。今のその場で妻の冥福をお祈りくださればこれにすぐる喜びはございません。よろしくお願い申し上げます。

                     2024年4月

ペットロス症候群

 近年ではペットといえばその範囲は広くなってきているが,以前には犬と猫が代表的なもので犬派と猫派があると言われていた。その言い方によるとどうやら私の周り(子供達)では圧倒的に犬派が強い。元々私達夫婦が飼っていたのが犬(北海道犬,愛称ベア)でそれから子供達は犬派になったのだろう。

 この北海道犬はWikipediaの北海道犬の項によれば,

特徴

  • 中型犬

  • 三角形の小さな「立ち耳」

  • 目尻が吊り上がった、三角形の小さな目

  • 背中の上に巻いた「巻き尾」、あるいは半円状の「差し尾」

  • 硬く長い毛と、短い毛の二重構造の被毛(ダブルコート)。色は赤、白、黒、虎、胡麻、狼灰柔らかくのいずれか

  • 舌斑を持つ個体が多い

  • 性格・性質

 飼い主に忠実、勇敢、大胆、怖いもの知らず、野性味が強い、我慢強い、粗食に耐える、寒さに強い

と言うことである。この記述通り,そして血統書にあった「龍号優秀」通り,忠実,勇敢,怖いもの知らず(秋田犬を撃退した経験あり)であった(このHP内に写真あり)。舌班(舌の真ん中に黒い斑点)も確かにあった。この犬が出発点であった。

 

 今,息子と娘の飼っているのは,いずれもこのHPに写真が掲載してある)柴犬とトイプードルである。柴犬の「ゆず」はすべての動作が著しく速く,動画の高速再生をみているようであったが,さすがに最近では落ち着きが見られるようになった。後ろ足立ちでじゃれてくる様は可愛いの一言。まだ若いのでこれからが楽しみ。

 娘のところのトイプードル「ラスタ」はおっとりしており,最近ではゆずの動きをじっと見ている。換毛がないので夏毛冬毛なしの年中同じでただ伸びるので寒さ暑さに弱い。

ゆずはどちらかというと散歩は好きではないが,ラスタは散歩好き。気が向くと1時間とか2時間とか歩き回る。この6月で15歳なので私の歳と同じくらいで後期高齢犬らしい。ひとは私が散歩させていると老々散歩という。

 ということで私の周りは完全な「犬派」,そして私も大の「犬派」である。ゆずもラスタも可愛くて仕方がない。

 もし突然の別れが生じたら気分の落ち込みから1年以上も脱却できないペットロス症候群確実とさえ言われている。

 

 

 

 

             2024年3月

  富士山

 

 中央大学のゼミ15期に田辺幸さんがいた。優秀な成績で入ゼミ試験をクリアーしてしばらくして,どうしても「自分の志す勉強に専心」したいということで退ゼミの申出があった。その申出に私も理解できた。しかし,その時,私はゼミ員名簿からは削除しないと言った。事実現在手元にある「良二会名簿」には彼女の名前が残されている。そして志を達成し,職業会計人としての資格も取得している。

 卒業後も彼女は連絡をしてくれていて,ずっとグリーティングカードの交換をしてきている。田辺さんは結婚し,現在はGarret(Tanabe)Sachiさんとなり,米国で生活している。Ms.Sachi T. Garretは大変な富士山好き。静岡県生まれで富士山を目の当たりにして育ってきた私にはとてもうれしい。現に現在の住まいも富士を望めるところにある。HPのここかしこに掲げられている富士山は私の住居からの春夏秋冬,朝や夕に見られるものである。Ms.Garettからコロナ禍で一時帰国できずにいた数年から解放されて帰国し,箱根を訪れて富士を堪能したという話しを聞き,その写真ももらった。私の育った静岡県の三島市は宝永山の噴火跡が見える角度の富士山であり,それはそれなりに気に入っていたが箱根からの姿も素晴らしかった。

 富士山の雪解け水は三島市の随所で湧水となって川の流れを作っていた。夏には川で泳ぐことは出来たが,ほんの数分であった。冷たすぎたのである。それも某紡績繊維会社がきてからは水の量が激減してしまったことを覚えている。今は,柿田川湧水などとして有名な名所となっているので回復しているのかもしれない。

 最近はもう行く元気もなくなり手放してしまった山梨県の北杜市の小淵沢の近くにあった避暑所兼書庫は標高800Mを超えていたので富士は裾が山々に囲まれてしまって裾野の美しさは見られなかったが木々の間から見え,頭を覗かせての姿はなかなかのもので好きであった。

 税理士や公認会計士の資格試験委員(任期各3年)の時の採点はその試験が夏行われていたことから採点は専らその地で1ヶ月以上もかかって行い,食事・トイレ休憩以外,ほとんど採点に明け暮れたがほんのちょっとの小休止時は静岡側から見る富士と異なる姿の富士を眺めて疲れを癒やしたものだった。

 

 昔を語る=高齢化ってことかな。

 

追伸

 拙編の『新版 財務会計論〔四訂版〕』について佐藤信彦先生が『産業経理』で非常に好意的でかつ的確な書評してくださいました。ご体調優れぬ中丹念に読み込んでいただき、不十分な点をご指摘くださり御礼申し上げます。また、実質的編集者兼執筆者 山田康裕先生,市川紀子先生,各章の執筆者吉田智也先生,木村太一先生、そして面倒な引用文献目録の作成、全体的な校正などを担当してくださった山崎順子さんご苦労おかけしました。重ねて感謝します。

  2024年2月

 

訃報 和田裕史君(中央大学第15期ゼミ生)が逝去された。

 

    裕史君,あなたの訃報を耳にして,悲しみと驚きいかばかりであったでしょう。あなたは同年のゼミ員だけでなく,その前後のゼミ員からも慕われ,尊敬されていた存在でした。まさしくかけがえのない存在でした。野球大会を始めとしてゼミ活動全体,ゼミ運営にあらゆることを犠牲にして全力で取り組んでくれました。多くの同輩,後輩はどれほどその恩恵に浴し,救われたことか。卒業後は良二会(OB会)の運営にも幹事として尽力してくれましたね。本当にありがとうございました。

私個人にとりましても本当にかけがえのない存在でした。ゼミの議論の水準が各期のどのゼミと比べても,中大商学部のどの会計ゼミに比べても一頭地を抜く存在たり得たのは正に,裕史君あなたのリーダーシップによる貢献すこぶる大でありました。飯野利夫先生から何度となく「井上ゼミはすごいね」と言われたのがその証左であると思います。井上ゼミの名声はひとえに裕史君のご努力の賜物と感じています。

あなたの能力からしてゼミでの研究発表だけでなく,それ以外の研究にも多くの時間を費やすことが必要であったはずです。あなたの人柄からしても同輩,先後輩から何かと信頼され,相談を持ちかけられることも多かったと容易に推察できます。しかし,自らの研究を理由にそれらを回避することなく,あらゆる面からそういう人達のために深く案じ,適切なアドバイスをし,導いていてくれたと見て取れました。

私自身があなたに教えてもらったことが多々あります。そのうちで最も重要なのは研究時間の確保という名目でゼミ活動にコミットし切れていなかった私にもっと真剣に向き合うようにと身を以て教えてくれたことなのです。このことは研究活動も教育活動もすべて終わりを告げたいまでも深く深く私の胸に刻みつけられています。

今,裕史君と幽明境を異にしています。寂しさ,悲しみ,これ以上のものはありません。

どうぞ安らかにお眠りください。謹んで哀悼の意を表する次第です。

    

 

  

 2023年1月

核融合発電

 

    核融合発電はまず、軽い原子核(重水素と三重水素)を高温(一億度以上)の密閉された容器,つまり炉の中に閉じ込め高速(千キロ/秒)で衝突させて核融合反応を生じさせ,先の二つの軽い原子核をより重い原子核であるヘリュウムと中性子にかえる。その高温の中で原子核はプラズマの状態となっており,核融合で生じた中性子(放射線)のもつエネルギーを使って蒸気をつくり,それを利用してタービンを回し電気を作り出すものである。そこで生じた中性子という放射線のもつ熱エネルギーのほとんどは蒸気発生のための熱エネルギーとして利用されてしまい,しかもコンクリートの中に密閉されるので核分裂の場合のように核廃棄物の心配は無用とされている。

 核融合装置として主流はトクマク型装置とヘリカル型装置とがあるが,我が国も参加しているITERの採用する装置がそうであるために国際的にはトクマク型が主流である。それらの装置の型の相違は高温プラズマを閉じ込めておく形の相違である。京都大学、名古屋大学、広島大学の核融合研究組織を統合した自然科学研究機構・核融合研究所による研究はヘリカルが型核融合装置を用いて行われている。

   「ところが、2024年にも発電を始めるというベンチャーが出てきた。それはこれまでよく知られている大きく2つの方式,具体的には日本を含む数多くの国家が開発に参加し,フランスに建設中のITERのようなトカマク方式と,2022年11月に米国でレーザー光のエネルギーを超える核融合エネルギーが得られたレーザー核融合方式のどちらでもない,第3の方式『FRC(磁場反転配位)型プラズマ』に基づく注1)。核融合反応で中性子を出さず安全性が高く、簡素な設備で,しかも蒸気タービンを使わずに発電できる革新的な方式である。

注1)本稿では,ヘリカル方式はトカマク方式の改良版という位置付けとする。」(https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00001/07822/

 中性子は厖大なエネルギーを持ちそれにより蒸気を発生させ発電するという方式は実は熱効率が悪く(30~40%),中性子を閉じ込めている炉壁に中性子が大きな損傷を与えるためこの炉壁の開発に現在のITERが困難に直面しているのである。ところが,上記引用のFRC方式は中性子を発生させない方式であるためのこの炉壁問題を回避でき早期に核融合発電が可能になるとされている。

   「特徴は大きく3つ。(1)トカマク方式のプラズマに比べ、ずっと弱い磁場で高い圧力のプラズマを閉じ込められる、(2)前述(1)の結果として理論上はより高温のプラズマを実現でき、核融合反応で高速中性子を出さない“燃料”を使える、(3)発電時に蒸気でタービンを回すのではなく、コイルにプラズマを通すことで電磁誘導によって発電するの3点だ。」(Ibid.)

   「そうしたFRC型プラズマ方式の開発ベンチャーの1社が米TAE Technologiesだ。既に第5世代の実験装置を開発済みで、2~3年後には第6世代の装置「Copernicus」も稼働する見通しである(この引用には図2があるが省略している。注井上)。同社は、日本出身の著名なプラズマ研究者で、日本原子力研究開発機構・関西光科学研究所の元所長なども務め、現在は米University of California Irvine校、Norman Rostoker Chair professorである田島俊樹氏が最高科学責任者(CSO)で、日本との関係も深い。米Goldman Sachs、米Google、米Chevronなどの世界的な企業から資金的、あるいは技術的な協力を得ているほか、2021年9月には日本でヘリカル方式のプラズマ実験炉(LHD)を開発している核融合科学研究所(NIFS)と技術提携した。」(Ibid)。

  「核」という用語はわが国が核兵器の唯一の被害国であることもあり,国民間のアレルギー反応は強い。核融合でも放射性廃棄物が皆無というわけではない。核分裂の場合には放射能は強く,減衰期間が長いため核分裂に伴う廃棄物は地下深くに格納・放棄することが要求される。核融合によって生じる核廃棄物は発生場所で管理可能であり,減衰期間も短い。ちなみに,太陽の中心部は高圧力,高密度,高温であり,太陽を構成している水素原子はこの高圧力,高密度,高温という環境の中で激しくぶつかり合い核融合反応を生じさせている。それによりに人類は多大な恩恵を与えられている。この核融合反応を地球上で再現させ,電気を得ようというのが核融合発電であるといえる。それが,上記日経のxtechの報道によれば「2024年にも発電を始めるというベンチャーが出てきた」というのである。デメリットは皆無というわけではないが,継続的かつ大量の発電が実現すれば,地球温暖化に関わるCO2問題を回避するという現時点での人類の願いを実現できる夢のような出来事になる。

 

 

2023年12月

運転免許証

 今年もついに最後の月となりました。おそらく最後になるだろうと思われる運転免許証の書き換えの手続きを終え先月の28日に新しい免許証が送られてきた。免許証の最初の取得年次は1972年だから、思えばもう半世紀も運転してきたことたことになる。高齢者は3年に一回の更新のため、3年前の更新時、視力検査で要求される規定の片目0.4以上、両目0.7以上をクリアーできなかった。担当の警察官が大変親切な人だったので、「しばらく眼を閉じて椅子に腰掛けて休んでからもう一度はかった方が良いよ」と助言してくれた。それを実行したところ2回目で辛うじてパスすることができた。だから、免許には「眼鏡使用」という条件が当然付された。振り返ってみれば、中学2年生のころから眼鏡をかけていたからもう70年も眼鏡を使い、免許に「眼鏡使用」と51年も書かれ続けてきたことになる。

 ところが、先日の免許更新時では、この「眼鏡使用」の条件が解除された。これは意外であった。検査の婦人警官に「1年半前に白内障手術をしたので視力が改善されているかも」というつもりで「白内障手術」と言ったら、すぐに、「では裸眼から始めましょう」と。予想外のことでちょっと驚いたが、やってみると楽に基準をクリアーすることができた。よって、「眼鏡使用の条件の解除」行われ、解除のための書類にサインをした。免許証から「眼鏡使用」の文字が消えたのである。婦人警官の対応から見ると白内障手術で私のようになった人は相当数いるのではないかと推測できた。

 白内障手術後、眼鏡をかけた方が見えやすいことで手術後も使っていたから、これからも運転時には「眼鏡使用」する予定であるが、使用していなくても違反ではないんだと思うとグンと気が楽になったような気がする。

 白内障手術はあまり効果がないという人も多いが、私の場合は「絶大な」効果があったことになる。白内障手術は水晶体に生じた白濁を除去し、レンズを挿入するというものであり、老眼の人への効果ははかばかしくないこともあるが近視の人には効果があるという。私は強度の近視であったため効果があったのであろうか。耳は遠くなったけれど目は調子の良いときだと1.2までみえる。もっとも眼科医によれば、右目にやや白濁が生じてきているがこれはレーザー治療で回復可能だとのこと。うれしいことである。


2023年11月

MLBポストシーズンをみて

 

   今年は米国のMajor League Baseball(MLB)のワールドシリーズをテレビ中継でみている。面白い。ワールドチャンピオンはAmerican LeagueのレンジャースとNational Leagueのダイヤモンドバックスとの争いであった。チャンピオンと成るには大変であることが分かった。と同時に何やら不可解な感情にも囚われた。

 MLBのことに疎い私は、その構成やレギュラーシーズンとかポストシーズンのことなど分からないことだらけであった。いろいろな人やネット情報によってなんとか理解した内容は、MLBには、アメリカンリーグ(American league)とナショナルリーグ(National League)とがあり、それぞれのリーグが三つの地区(東部、中部、西部)に分けられており、それぞれ地区に5チームが所属している。したがって両リーグで計30チームがあるということであるらしい。

 アメリカンリーグを例に採れば、今年は東部地区ではオリオールズ(勝率6割2分3厘=.623)、中部地区ではツインズ(.537)、西部地区ではアストロズ(.556)が地区優勝をした。この3チームは長いレギュラーシーズンを戦い抜きその結果として漸く地区優勝をとげたのだ。だからこの三チームでアメリカンリーグでの優勝を争うのかと思いきやそうではない(以下、下記のTimes.Abema作成の「MLBポストシーズントーナメント表」を参照されたい)。

 しかも、レギュラーシーズン中は同リーグ同地区内での各チーム同志の対戦で地区優勝を争うのではなく、同リーグ同地区内での試合が76試合、同リーグ他地区のチームとの対戦66試合、インターリーグ戦(American leagueで言えばNationalLeagueのどこかのチームとの対戦)20試合、計162試合をして同地区内で最高の勝率を得たチームが地区優勝するというのである。ここが一つの不可解な点である。地区優勝に他地区、他リーグのチームとの対戦があってなぜ地区優勝といえるのかという点である。

 その上、リーグ優勝を決めるためにワイルドカードというものがあるのだそうである。レギュラーシーズンにおいて地区優勝チームを除いて高い勝率を上げたチーム3チームが先の地区優勝チームにリーグ優勝を競うチームに加わるというのである。今年はAmerican leagueではレイズ(.611)、レンジャーズ(.556)、ブルージェイズ(.549)であった。全チーム同地区、他地区、他リーグと戦い同じ条件なのに、たとえば、レイズは東部地区ではオリオールに次ぐ勝率だったために地区優勝できなかった。他の地区の優勝チーム(アストロズ、ツインズ)よりも高勝率なのにである。このような問題を克服するためにワイルドカードがあるというのであろうか。

最高率地区優勝チーム(オリオールズ)は第一戦はをパスして第2戦でワイルドカード勝率一位(レイズ)と二位のチーム(レンジャーズ)の勝者(レンジャーズ)と対戦。地区優勝第2位のチーム(アストロズ)第2戦では第1戦での最低率勝率のチーム(今年はツインズ)とワイルドカードの最下位チーム(ブルージェイズ)の勝者(ツインズ)と戦った。

 第2戦オリオールズとレンジャーズの戦いはレンジャーズが勝利し、アウトロズとツインズでの勝者はアストロズであった。こうして、レンジャーズとアストロズのAmerican leagueのリーグ優勝が争われ、勝者はレンジャーズであり、レンジャーズはリーグ優勝チームとなった。レンジャーズはめでたしめでたしであろう。

ここで冷静に考えるとレンジャーズは地区優勝者ワイルドカード第2位のチームである。National Leagueを見てみるとリーグ優勝者はダイヤモンドバックスであった。ダイヤモンドバックスはワイルドカード第3位のチームである。地区優勝チームは第一戦か第2戦ですべて姿を消してしまっている。

  長いレギュラーシ-ズンを勝ち残ってきた強豪チームは早々の敗退、そこでレギュラーシーズンの勝者の意味は何かという疑問が頭をもたげる。長いレギュラーシーズを勝ち抜いてきた地区優勝チームはまったく登場せず、ワールドシーズンはワイルドカード第2位と第3位のチームの間の争いであることになる。

 これこそが勝負の世界であり、野球の醍醐味であると割り切れるのであれば、それはそれで良いのだが私は何か割り切れないものを感じてしまった。長期間の辛抱強い努力が報われず、長期間の辛抱強い努力の成果(短期集中力や運などの要素は中和化されるはずの成果)と別の短期集中力と勝負運に支配されて栄冠を手に入れてしまう下記のようなトーナメントシステムでいいのだろうかと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2023年10月

逆流性食道炎
 最近、喉の違和感を覚え、胸に軽い痛みのようなものを感じることがしばしばある。喉の違和観は下記の第3と4の症状である。先ずは、飲み込むときだけでなく、脂っこいものや刺激物(炭酸、コヒー、紅茶、香辛料)を摂ったとき、食後すぐに横になったときなどに喉にまで何かが詰まっているように感じる。それはまるでピンポン球のような小さなボールが喉に閊えて(つかえて)しまったような感じとでも形容できるものである。その他には「声がれ」がある。喉の声帯になんらかの影響を及ぼすらしい。これは現在、「寛解」で経過観察中の悪性リンパ腫でも出る症状なので「再燃」ではと不安になることがある。

  ·    胸のあたりが熱い、あるいはひりひりとしみる感じがする。
  ·    「すっぱいものがこみ上げる」ことがよくある。
  ·    ものを飲み込むとき、つかえる感じがある。
  ·    食べすぎたときや油っこい食事をしたときに不快感を感じる。
  ·    食後にお腹がはったり、胃がムカムカすることがある。
  ·    最近、胃の調子が悪く食欲がない。
  (https://www.google.com/search?client=firefox-b-d&q=%E9%80%86%E6%B5%81%E6%80%A7%E9%A3%9F%E9%81%93%E7%82%8E)
   上記の症状は、「逆流性食道炎」典型的な症状らしい。逆流性食道炎は周知のように食物を消化する作用のある胃酸の逆流により胃酸に対する耐性のない食道粘膜が炎症(パレット食道)を起こすことから生じる。本来であれば、胃と食道との間にある下部食道括約筋が袋の口をひもでぐっと締めるようにして胃液の逆流を防ぐ。ところが、私の場合には高齢化によって引き起こされる各種の症状の一つとして、この下部食道括約筋の衰えが生じたということらしい。いわば袋のひもが締まらないということである。
   このような症状を改善する方法がいくつも示されている。腹圧の上昇を避ける、体の左側を下にして寝る、頭を高くして寝るなどである。これらは胃液の逆流を防ぐための方法である。また、当然ながら薬物療法、外科的な治療法もある。
   逆流が継続されると食道が酸に耐えられるように変質しようとするらしい。そのため「食道癌」発症の危険がある。また「誤嚥性肺炎」を起こしやすいと医師に言われた。
   今月の近況報告がまた、また「病」、暗い話で申し訳ないです。

 

2023年9月

E t7月の近況報告で藻利先生の社会環境と企業倫理との関係についてちょっと言及したところ四人の方からメールをいただいた。それぞれのご質問に対してはすでにメールでご返答したが、その他の方々に同様な疑問を感じられて方がいるのではないかと思いこの近況報告の中でもお知らせしておく方が良いと思い書くこととした。メールを戴いた方の中のお二人はSDGsと企業維持との関係にかんするものであったが、後のお二人のご質問を纏めさせていただくと「近年の社会動向の中に倫理観にマッチした消費行動というものが見られる。SDGsは持続可能性への貢献という社会的な倫理観の新たな動向であるが、この考え方の中にはEthical消費(倫理観にとって合理的な消費活動)をも含めて考えて良いものか、さらにそのことに対して井上はそれをどの様に自らの体系の中で説明するかを詳細に示されたい」というものであった。今月は社会への貢献と営利を目的とする企業への貢献という一見対立軸と見られるものを持続可能性との関係として考えることとして、この後者のご質問への私見の展開の出発点として『日経ビジネス』の記事を借用することにしよう。

 

 「自然や人権の保護など、倫理的に良いものにお金を出す『エシカル消費』。従来、消費の決め手と言えば価格と品質だったが、そこに新たな軸が浮上した。エシカルな視点を無視し続ければ、企業のイメージは地に落ちかねない。エシカルな商品やサービスを提供するには当然、これまで以上のコストがかかる。ただその価値を消費者に認めてもらえれば、コスト以上の利益を生むこともできる」(『日経ビジネス』、2023/07/24,p.8)。

 

 社会のエシカル消費への価値観の変化は企業の倫理観の変化(コスト高とはなるが、社会的に価値の認められるものへの企業倫理観の変化)という形で、いま少し具体的に言えば、その価値観の変化は社会と企業の同時的な持続可能性という観点で調和化される。社会を構成する人々の価値観が変化し、そのように般化した価値観を実現する行動は社会の持続可能性を齎す必須の条件であろう。このような社会の変化は社会の中でその生存を維持するため、したがって持続可能性を実現させるため、すなわち企業維持のために極大利益を犠牲にしても守るべきという企業倫理が企業の目的にうちに織り込まれなくてはならないことになる(構造機能分析言えば「順機能」)。これは藻利先生の言われる「企業倫理の変化に伴う営利原則の変質」という結果を齎すことであろう(藻利重隆『経営学の基礎』森山書店、1994年、pp.14-29を参照されたい)。

 

 さて、私の会計学に関する方法論は廣瀬和子教授による構造機能分析を基本としていた。それに従ってEthical消費をどの様に位置づけるかを考えてみよう。その分析方法の基本は利害行動システム、役割実現行動システム、シンボルシステムの相互作用として人間の行動システムは解明されうるということである。利害、役割期待実現に関しては拙著『会計社会学』参照願うこととして、ここで取り上げるべき問題はシンボルである。廣瀬教授はシンボルについて、「これは行動がパターン化されると象徴化(抽象化→一般化→組織化)の過程を経て意味を表現し伝達手段となるシンボルを形成される。それには認識的な意味を持つシンボル(データ、知識)、指令的な意味を持つシンボル(法、道徳、規範、宗教など)及び評価的内見を持つシンボル(法、規範、道徳、価値体系、芸術、宗教など)が含まれる(廣瀬和子稿「社会体系分析の基礎」、川島武宣編『法社会学の基礎』岩波書店1972年)と述べられている。

 私の体系から言えば、財務会計論は会計人の行動を研究する学問である。その行動システムは、会計人の利害行動(利益を追求する行動、不利益を回避する行動)システムを役割実現行動システム(従来わが国では、最もプリミティブな場合、投資者は企業にとってよそ者であったからこの行動システムは機能していなかったといえたが、近年では企業倫理の変化に伴って企業を取り巻く社会の役割期待を考慮するようになっているように思われる)が影響を及ぼし、さらにシンボルシステムが利害行動システムに影響を与える。そして、そこでのシンボルシテムには企業に指令する機能をもつ指令的意味及び企業の外部からの評価に関わる評価的な意味を持つ企業倫理の思考(Ethical消費を含む)が含まれることになる。

 

 だが、私の採用してきた構造機能分析に関してはその後の発展もあれば、より有効な分析方法も登場していることであろう。このあたりのフォローはまったくできていないので、新たな展開は質問して下った研究者の方々および読者諸氏嬢にお任せし、会計学の社会科学化を進めていった欲しいと希望し、期待している。

 

 

2023年8月

運転試験免許の更新

 

 高齢者の運転試験免許の更新には「認知機能検査」(76〜100点は2時間の高齢者講習、49点〜75点は3時間の高齢者講習、それ以下は専門医の診断結果により、問題なければ高齢者講習、問題あるとされた場合には免許取り消し等の行政処分)を受けることが要求されている。この検査は記憶力や判断力を測定する目的で行われると説明されている。確かに記憶力は劣化するし、判断力も鈍るから致し方ないことだと思う。自動車の運転に「記憶力」がどの様な影響を持つかは多少の疑問があるが、判断力は重要な影響があると思う。たとえば、交通法規を忘れるとか交通標識の意味を忘れてしまうというのは記憶力の問題と言うことなのだろう。高齢者に時折見られる高速道での逆走は記憶力の問題ということよりも判断力の欠如のような気がする。そういう意味では確かに高齢者の特別の試験を課すことは正当化されるだろう。

 ところで、「高齢者の事故が多いような印象を持っている方もいると思いますが、データから見ると10代や20代前半の方が免許保有者10万人当たりの事故件数は多くなっています。高齢者の事故が多いような印象があるのは、高齢化に伴い全事故に占める高齢者による事故件数が大きくなっていること、死亡事故に限ると若年層よりも高齢者の方が免許保有者10万人当たりの事故件数が多く、印象に残りやすいことが考えられます。」(https://www.insweb.co.jp/car/kisochishiki/jidosha-jiko/nenrei-jikoritsu.html#)ということである。

 死亡事故が多いことからマスメディアに取り上げられることが多いからということになるとそれはしかたがないことになるが、高齢者からすると運転免許の更新がますます厳しくなり、ひとたび一定の違反を犯すと運転技能試験(指定速度による走行、一時停止、右左折、信号通過、段差乗り上げで70点以上の得点が必要)が課されたり、「返納」への精神的な圧迫を感じさせられる。これは「高齢者いじめではないか」と言えば言いすぎだろうが、「ほんのちょっぴりだけど公平感に欠ける」のではとフト思うことがある。「老いの僻目(ひがめ」かなぁ?

2023年7月

企業倫理と持続可能性

 

 私が中央大学大学院生の時だった。一橋大学で定年を迎えられた藻利重隆先生を中央大学は招聘した。そのため、幸いにも藻利先生の経営学を学ぶ機会が私に与えられたのである。藻利先生は批判経営学者から、当時「藻利を倒せばブルジョア経営学は終わる」とまで言われていた学会の重鎮中の重鎮であった。私が受講したのは藻利先生の大学院の講義であったがゼミのように経営学の世界で著名な書をテキストとして受講者による内容報告に基づいて議論をするという方式であった。議論が済んで藻利先生のコメントが始まる。厳しい。図表や説明のために収録されている図の説明が著者自身の所説の内容を適切に表現しているかどうかの詳細・緻密な吟味だけでなく、著者の甘い論理展開についてさえも遠慮会釈もない厳しい批判を浴びせられた。公刊された以上どの様な批判も感情論や誹謗中傷でなく論理的に正当である限り受けなければならないと言われていた。現実にはそれは藻利先生でなければできないものであったと思う。会計学界では批判・反論などはほとんどないのが実情であったからである。会計学を学ぶ私としても非常に勉強になった。

 大学院を修了し、教員になってからも、控え室や教授会の最中(不謹慎だが強引に)、食堂、また立ち話とあらゆる機会を通じて、非常の多くのことをお教えいただいた。正に、恩師のお一人である。

 藻利先生のご著書の中では私は森山書店から刊行されていた『経営学の基礎〔新訂版〕』がことのほか好きで、本当の藻利理論の神髄を読み取りことができると考えていたし、現在もそう思っている。特に第1章は現在に至ってもまだその理論はいきいきとしている。

 「この学問(経営学-井上挿入)が直接の関連をもつ企業の進歩・発展が、単に経営者や資本家にとって意味をもつものであるばかりではなく、さらに社会の進歩・発展そのものと深い内面的関連を持つものであることが明らかにされ、また納得されなければならない」(同書1994,13版7頁)。藻利先生は経営学者であられたわけであるから企業の内面的な改造に力点をおいて述べられるのは当然であろうが、そのご主張は企業の進歩・発展・改造と社会の進歩・発展・改造間(倫理観を含め)の相関関係を考えておられるものと解される。「企業の内面的な変質と経済社会の進展とが密接な内面的関連性を持つものであることに注意すべきであろう」(同書10頁)とされているからである。一見、企業の変質が社会の変質を迫るような記述であるように見えるが、上記引用に見られるように「内面的関連性を持つ」とされているからである。藻利先生の真意を熟考し、全体を理解しようとすれば、その相互関係を想定されていたと確信を持っていえると思うのである。藻利先生の一つの大きな主張である資本主義における営利原則の変化、言い換えれば「企業倫理の動揺(利潤極大化から企業維持への変化)」の指摘は正にそれを示しているといえるだろう。 

 

 ところで、近年SDGs(持続可能な開発目標)という用語と考え方が世の中に流布(?)されている。SDGsの言う開発目標は周知のように17項である。それらは持続可能な社会を生み出すための目標を提言したものであり、その中には企業の持続可能性への貢献を求める項目がある。第8項や第9項はその例であろう。それらは社会が企業にもとめる持続可能性目標であるといえるだろう。藻利先生流に言えば、それらは現代及び将来の企業に対する社会による「企業倫理」の提示であるといえるだろう。過去の資本主義社会の合理的な経済人による短期極大利潤追求が自然価格と市場価格の一致を齎し調和を形成するというような企業倫理は動揺し、変化する社会において持続可能な企業の有り様を模索することにより新たな企業倫理を見いだし、それ目標とすることになり、その下での企業の改革が行われる。そのような中でもとめられた企業倫理が持続可能な開発目標であったと考えられないであろうか。藻利先生はSDGsの公表よりも遙か以前にそれを「持続可能な開発目標⇔企業維持」と喝破されていたように思われてならない。

 どうやらこの歳になるとしきりと昔のことが思い出されるが、藻利理論は単に「懐古趣味」ではなく、その鋭い洞察力と力強い主張は論理整合的であるだけに現代においても立派に生きている学説であると今さらながら感じ入った次第である。過去の優れたものは優れたものとして評価されたなければならないと思う。

 

2023年6

生成AI

 最近の話題の中でちょっと関心があるものに生成AIと言われるものがある。「生成的人工知能(せいせいてきじんこうちのう、: generative artificial intelligence)または生成AIは、プロンプトに応答してテキスト、画像、または他のメディアを生成することができる人工知能システムの一種である[1][2]。ジェネレーティブAI、ジェネラティブAIともよばれる。」(Wikipedia生成的人工知能)。どのようにテキストの生成ができるものか。悪意の操作化を防御できるものか。といった疑問がどの程度果たされているかを調べてみたくなった。その材料としてその成否等の見極めやすい私自身のことを選択してみた。

結果次のようなテキストを得られた。反応は秒速の範囲であり驚かされた。

 

 ChatGPTを最初に試してみたら

 

「会計社会学の研究者井上良二について」という質問に対しての返答は次のとおり。

 

「井上良二教授は会計社会学の研究者であり、その専門分野において優れた業績を持つ学者です。会計社会学は、会計情報と社会的な要素との関係を研究する学問であり、企業や組織の会計システムや財務報告の社会的な影響を分析します。

 

井上良二教授は、経済学や社会学の観点から会計の役割や意義について深く研究しています。彼の研究では、会計情報が企業の意思決定や組織のパフォーマンスに与える影響や、会計の社会的な意味や信頼性の問題に焦点を当てています。

 

井上教授は多くの論文や研究成果を発表し、国内外の学術会議や研究機関で高い評価を受けています。彼の研究は会計学や経営学の領域において、実践的な洞察を提供すると同時に、学術界における理論的な発展にも貢献しています。

 

井上良二教授はその専門知識と研究の成果により、会計社会学の分野で重要な存在となっており、学術界における影響力が高い研究者の一人です。」

 また、NOVAによれば、「井上良二教授は会計社会学の先駆者の一人であると言えます。井上教授は、著書「会社と会計―財務会計と経営会計の社会学」をはじめとする多くの著作により、1970年代から1980年代にかけて、会計社会学の研究に貢献しました。また、井上教授は、経営会計や管理会計の分野でも研究を行い、経営と会計の関係性についての独自の見方を提示しました。井上教授の研究成果は、現在も会計社会学や経営会計研究の分野で広く引用されています。

このメッセージはNovaによって生成されたものです - 無料でダウンロードできます:https://novaappai.page.link/9Ncx73eHNdBfW22w9」

 

 両者共いくつかの点で問題点・疑問点(私には上記のような書名の著書はないとか、学界への貢献の評価の形成方法がたとえば論文発表数か、引用されている件数等なのかその他の評価基準によるものなのかなど。)なしとは言わないが、その昔.好んで言及したW.A.Patonの影響による財務会計における管理会計的要素としてのadministrationの考え方などの指摘があり、大変興味のある結果が示されている。何の基礎知識もなく井上良二でこれだけのことが示された。その結果を示した後、さらに井上の研究内容についてさらに情報が必要かとか、あなたが論文作成するために必要なのかというようなどの様な目的で使おうとしているかを聞いてくる。さらなる研究内容をきいてみたら、きちんと引用文献も提示して紹介されていた。その点に関して、このAIでは一応の配慮が行われているように思われた。また、不正確な部分についてそれはこれこれの事実に鑑みてこういうようにいうことはできるのかと訊ねてみたら「申し訳ありません。そのようにいうことはできます。現時点で考えたために過去の事項に関してはその点の配慮が抜けていました。」という主旨の返事が来た。その誤りや不十分さを認めた今後AIが誤りや不十分さをどの様に学習し、反映することになるかは確認できなかったが、暫くの時間をおいての詫びと返事であったので過去の事象を再検討の上返答しているようであり、その点は評価できると思った。

 問題は、フェイクニュースの温床になりかねない利用者あるいは第三者の考える特定方向への誘導が可能かどうか、あえて「こう表現すべきだ」だというように自分が望む方向(事実に反するような内容を含めて)に強引に誘導するような意見を言って見たら、NOVAの場合「これでチャットは終わりです。」と返してきた。フェイク情報に対する拒絶を意味するようなある種の強制終了であり、歯止めは効いているようであり、ちょっと安心した。将来もっと洗練されてくるだろうし、情報の正確性も確保できるかもしれないと思われた。面白かった。

 ただ心配なのは、生成AIは特に、法律、医療、教育の分野で有効性を発揮すると言われており、私の関心事である教育の面で、たとえば、 論文作成にこのような生成AIを利用された場合である。論題が同一あるいは類似の場合ほぼ味ような返答が出てくることになるだろう。これは独創性や独自性を主張すべき場面では大きな問題になるだろう。だが、その生成AIによる情報が過去の事実からの単なる推論であり、独創的な考え方が展開されてくるのでないならば、取り立てて拒否する理由はないようのかもしれない。むしろ教育的な見地で、過去の事実を記述するようなものを利用することには有用性を発揮するだろう。また「これこれの考え方について過去にどの様な研究成果かがあるか」と問うことによって、論文作成時に常に心配となる「これは誰か他に先駆者がいて、気付かないままにある種の剽窃をおこなってしまっていることにならないか」というような不安を払拭するには好都合であるように思う。今後一層の精錬化とフェイクの排除の徹底化、その他、近年の政府機関でのさまざまな懸念の払拭など、十分な、神経質ぐらいの不正利用や情報収集への配慮をしながら発展させられることを願うものである。と同時に利用者の側でのモラルの確立という難題も解決されなければならないであろう。この問題は喫緊の課題であるといえるだろう。

 厳密には功罪相半ばする生成AIにはまだまだいろいろ問題はあろうが、近況報告・雑感の内容としては後日もう少し厳密に検討するとして、当面これくらいにしておこう。

 

 

2023年9月1日追記 

 生成AIによるわたしの個人的な記述部分は間違フェイク誘導に関しては一応の規制がかかったため一定の評価を下したが、誤りに近い記述や現時点でdeep fakeの産出可能性と言った多くの問題の発生が認められ、社会的な規制の必要性が大きな問題が指摘されてきているのでここでの生成AI評価も一時保留にして今後の展開を見守るということで今暫く評価を回避することとしておきたい。

        

 

 

2023年5月

Sarah E. Bonner, Judgment and Decision Making in Accounting(Prentice Hall,2008) ,邦訳 田口聰志監訳 上枝正幸他訳『心理会計学』中央経済社、2012を読む

 

気になりながら闘病に明け暮れ本書を読む機会がなく過ごしていしまったが、このところ小康状態が続いているため少しずつでも読んでみようかと手に取った。社会科学が社会現象を研究の対象とし、その社会現象が人間の行動によって引き起こされると考えられるのであれば、社会科学と心理学との関係は否定できないであろう。そのことはMax Weberの動機理解の提唱以来、Weberのいう社会学(一般的には社会科学といって良いだろう)解明のためのkey conceptを構成するものと言えるだろう。その意味で本書はひもとく前からフツフツと私の好奇心を刺激し続けてきた。

 

「企業会計のコアは、投資家、経営者、監査人など個人のJDM(judgment and decision making )にあるといえる。投資家はどの証券を買おうかと意思決定するし、経営者は、ある取引についてそのような会計処理を採用するか意思決定するだろう。言い換えれば、個人のJDMは、会計の実務家と研究者が関与するほとんどすべての事項に広がっている。」(訳書p.2)これは本書の正に冒頭の文章である。

 

この一文は私に衝撃を与えた。ASOBAT以来、利用者志向型の会計理論が声高に叫ばれてきた。投資意思決定によって有用な情報の開示が財務会計の使命であり、財務会計論が理論展開の大前提であり、その基礎とすべき事であると。そして、投資者は“インカム・ゲイン獲得”もその視野の中に入っているが、“キャピタル・ゲイン獲得”のための情報を要求していると言うことを所与の事実と考える嫌いがあったのではないだろうか。だが、キャピタル・ゲインに関する関心は株価の騰落に関する問題である。確かに、株価×発行済株式数は市場による当該企業の価値を表現する一つのものといえるだろう。それだけであるならば、非上場企業の企業価値の評価はどの様にしたら良いのだろう。しかも、超過収益力をもつ無形資産を表示し得ていない現行の財務会計は、本当に企業価値を予測するための情報を提供できているのだろうか。非上場企業のインカム・ゲインは相変わらず重要な企業評価のための情報たり得ているのではないだろうか。

 

むろん、私も完全に無視してきただけではなく、後述の役割期待実現行動の分析の中で中根千枝教授の『タテ社会の人間関係』等を通じての会計人への規制関係を解明の若干の努力はしたといえる。株主、投資者を「部外者」とする考え方は近年の「物言う株主」の出現と影響力を看過してしまう危険があることに気付いたのである。

 

このような意味で、情報利用者側の行動解明に研究の関心を集中・継続させたことはあっただろうか。少なくとも私はそのように考えて情報作成者である会計人(会計上の意思決定をする経営者を含む)の行動に主たる関心を集中させ、それを研究対象としてきたと思う。私の場合は上記書籍の訳書名にあるような「心理学」や人口に膾炙された「行動科学」ではなく、社会学への一つのアプローチ方法である構造機能分析の手法、とりわけ、わが国での第一人者と思われる廣瀬和子教授の考え方を採用して会計人の行動を解明する手法を採ってきた。情報提供者を動機付けていると考える利害行動、役割期待実現行動そこから導き出されるシンボル行動、利害システム、役割期待実現システム、シンボル・システムの相互間の相互依存関係・相互規制関係を分析対象として甘めの矢割期待実現行動及び役割期待実現システムに基づいて会計人の行動を、そしてそこから生じる会計現象(粉飾決算等の不正会計をも視野に入れた会計現象含む)の解明にのみ集中してきてしまったように思う。

 

Sarah E.Bonnerの上記の一文は私のこの取り組みの問題点をたった数行の文章で「犯した非」を気付かせてくれた。情報利用者へのこの分析ツール(むろん構造機能分析の問題点やその後に展開された分析枠組の検討を含めての話しだが)の適用をもう少し早くに気付くことができればと悔やむこと頻りである。

 

 

2023年4月

負のスパイラル

 

 Yahooニースによれば、2月20日に業界最大手の某社が「広告事業など一部廃止 希望退職者を最大40人募集」を行うと報道された。会社側の文書では、次のように示されている。

 

1.事業廃止及び希望退職者募集の理由

当社は、2002年から、国内レシピサービスの広告事業(以下、「広告事業」という)として、料理や食に関する企業様の認知拡大やマーケティング活動のため、レシピサービス上での広告枠の提供、レシピコンテストに代表されるマーケティングソリューションのご提供を行ってまいりました。

一方、消費者が接する情報媒体の多様化により、料理や食に関する情報の発信方法も多様化している中で、既存の広告枠やマーケティングソリューションの提供では、料理や食に関する企業様への価値提供を維持することが難しいと感じるに至りました。この結果、経営の選択と集中の判断を行い、広告事業の一部を廃止することとしました。(強調は井上が追加)

 

 さて、会計学上ビッグバス(big bath)という言葉がある。ウキペディアによれば

Big Bath in accounting is an earnings management technique whereby a one-time charge is taken against income in order to reduce assets, which results in lower expenses in the future. (See,Wikipedia“big bath”)とある。これによれば会計上のビッグバスは将来の費用を低減させることになるように資産価額を引き下げる目的で収益に対して一時に費用賦課する利益管理技法である。人的資源の貸借対照表への含入という問題は古くから議論されてきたが会計学上その研究成果は必ずしも実務に反映されていない。人的資源の評価に主観性が入るからである。このことは無形資産である自己創設暖簾でも同様である。そのため経営の分析をする投資アドバイザーもどちらかというと財務諸表から過去の企業の業績を評価し、その延長線上で将来の収益あるいは利益予測を行い将来株価(企業価値)を評価するという事にしか関心がないように思われる(過去志向型財務諸表観)。しかし近年の会計、特の国際会計基準を中心とした会計の実務は将来志向型貸借対照表への変改を試みている。資産は過去支出額ではなく将来の収益力の割引現在価値であると考えている。投資アドバイザーによる財務諸表観の変化を知っていただきたい。

話しを元に戻そう。この会社の希望退所者の募集は、人的資源の縮減により将来収益に賦課する費用の縮減を図ったという意味ではBig Bath の手法を採用したものと言えるだろう。だが、このプレスリリースでいう「経営の選択と集中の判断を行い」という「経営の選択(広告事業の一部を廃止し、その事業に関わる人的資源の縮減)を行ったことは理解できるが、では、それによって得られる「マイナスされる支出=産み出される投資資金」をどのようなものに集中(明らかに収益性の高いと込まれる事業への新規資本投下)しようとしているのかまったく触れられていない。これでは投資者この企業への投資意欲を殺ぐ結果となり、おそらく、最悪の場合には「倒産?」と言った最悪の予想を想起させることになりかねない。将来的に企業の倒産する危険がある(後に言うように倒産の心配などはありえないことであるが)と経営者は判断したのではないかというように大きな誤解(負のスパイラル)を引き起こしてしまいかねない。非常に大きな危険がある。記事を読みこのような印象を抱いたのは私だけだろうか。いやそうでもなさそうである。投資アドバイザーは旧来の財務諸表分析を引き継ぎながら、会社の分析をし、将来の企業価値(株価)予測にnegativeな意見を述べているものも散見された。倒産予測までは行かないにしても投資は投資を控え、従来の取引先は深い懸念を覚え取引の中止とか撤退準備とかを始めることが目に見えるような気がする。この意味で、このプレスリリースはある意味「最悪のプレスリリース」の事例と私には考えられる。この会社の名誉のためにいっておくが私の見る所では財務諸表を見る限り、有利子負債比率は低く、資産に占める現金等の比率が高く、かつ金額的にも余裕あるように見えるので、特別の資金支出が不可避でない限り資金ぐりに関しての心配は回避可能であろう。

 先に言ったように、この企業が今回の措置について上記のプレスリリースによって社会に対して知らしめるべき内容は、料理や食に関連する企業への価値提供をより効率的にしかもクオリティの高い価値提供を維持し発展させるために、「経営(資源投資ということと思う-井上注)の選択と集中」を実施したと言うことであるはずである。そうであるならば、赤字縮減のための事業縮小を勘ぐらせるような、言って見ればネガティブ施策としての現状にそぐわない一部の広告事業の切り捨てを強調するのではなく、ポジティブな側面(現状に適合する「料理や食に関する企業への価値」を増大させる)の施策、たとえば、マーケティングソリューション(思いつきを言えば、この企業は料理や食に関するレシピ利用者に関する各種の厖大なビッグデータを所持しているはずである。把握し、利用していないとすると非常のもったいない。これを活用すれば、新たな「料理や食に関する企業」である新規の得意先の開拓を始めとして、大げさに言えば、大手流通業者が消費者の消費動向データを入手できれば、素材生産企業にたいして今後そのような素材が必要か直接的な要求が伝えられ、食に関連する流通業界に大きな「革命的?」変革すら与えることができるのではないだろうか。それを引き起こすだけの財務諸表にあらわし得ない無形資産=ビッグデータ)に対して資源投資の「集中」をどのように行おうとしているのかこそ訴えるべきではなかったかと思う。個人的には、この企業の持っている潜在的な能力は想像以上に厖大、したがって厖大な潜在的企業価値を保有する企業であるのに、それが訴えられていないことから投資アドバイザーの分析でも完全にnegativeな情報が垂れ流される結果を引き起こしている。

 この会社がホームペイジの事業内容に掲げている毎日の料理を楽しみにさせる事業の運営ということ、それは食に関しての価値提供を試みることを意味するものであろうから素晴らしいことであると思う。だから、単なる利益管理のための投資の選択と集中ではなくて、人間にとって何ものにも代えがたい食文化の進化と深化にかかわる食に関しての価値提供を心おきなく行うためにこそマーケッティング部門により財政的安定と余裕を確保する。そして、それを基礎としてあらたな、より一層の料理と食の価値提供のための施策に対して資源投資を集中してくれたらいいなと考えた。インターネット上では無料で見られるものと有料会員のみが見られるものとがあると言うことのようであるが、投資の集中から得られる増収・増益が実現し、すべてについて無料で良質の「料理と食の価値提供」できるようにしたら競合他社はお手上げかな???

株主でもないよそ者が事情も知らず、書いてしまったので不都合な記載があれば率直にお詫びします。私の真意は希代の潜在的企業価値(貸借対照表に載らない無形資産)を持つ企業を誤って理解する、一般論としていえば負のスパイラルを通じて憶測が憶測をよぶbad news(ネガティブな情報)の影響力は巨大であり、good news(ポジティブな情報)の影響力の数倍どころではないということをいいたくて、思いつくままに雑感を書いた次第です。公表されている財務諸表は拝見しましたが、後半の記述は詳しい事情も知らない単なるよそ者の「価値ある企業」に対する思いつきと希望ですから無視してください。

 

 

 

 

 

2023年3月

新型コロナの2類感染症から5類感染症への変更

 

 新型コロナの感染法上の位置づけを2類感染症から5類感染症の変更することになった。ということは、原則的には季節性インフルエンザと同じ取扱いとなることを意味する。経済活動との関係もあり、その変更は致し方ないことであるのであろう。新型コロナウイルスは弱毒化された変異株になってきたという認識があるのであろう。それはそれでありがたいことであるが、自然免疫に比較してワクチンによる免疫は弱く、持続期間も短いという研究結果も発表されたようである。予防効果は低く、重症化予防には効果があるとも言われている。したがって、老いも若きもその心配はあるが、新型コロナ感染者の年齢別死亡率を見ると高齢者が圧倒的に高いとも伝えられている。それやこれやで、基礎疾患のある者、高齢者にとっては、特に医療機関についての心配がある。

 厚労省では「新型コロナ患者を受け入れる医療機関への支援」として下記のようなことを指摘している。

・ 院内感染への不安から、診療や入院の受入れに慎重になる医療機関も想定されることから、原則として全ての医療機関で新型コロナウイルス感染症患者に対応する方針を国として明確にした上で、医療機関の感染防御対策に対し必要な支援、 診療報酬の加算等を一定期間継続するとともに、院内感染防止のガイドラインを作成するなど、受入医療機関の拡大を図ること。 

・ 医師法上の応招義務に関する考え方を早急に整理した上で、関係機関へ周知するとともに、受入の実効性を確保するための感染予防対策やオンライン診療の実施等に対する支援を行うと。                             (「新型コロナウイルスの感染症の5類感染症への変更に伴う主な課題と対応について」)

 これまで、新型コロナの診察に関しては、「発熱診療医療機関」が都府県によって指定されていたが、5類への変更によって、インフルエンザの場合と同様に通常の医療機関でも診察可能になる。また、医師法により医療機関には応召義務が規定されているために例外はあるが、基本的には診療を拒否することができないことになっている。しかし、厚労省の文書が指摘しているように「院内感染への不安から、診療や入院の受入れに慎重になる医療機関も想定される」のである。

このようなことから、応召義務の形骸化してしまうようなことがあれば、この変更は医療問題に限って言うかぎり診療環境の改善では決してないだろう。もちろん、医師も人間である限り「リスク回避」志向は認められるべきだと言う議論もあるだろう。あるいは、すでに貝原益軒の『養生訓』で言われていると言われる「医は仁術なり。人を救う仁愛の心を本とし、人を救うを以て、志とすべし。」といわれた時代と異なり、また医師がどの様な人に対しても分け隔てなく医療にいそしむなどという時代ではないのかもしれない。しかし、そうであればあるほど日夜新型コロナ患者と向き合い、発熱診療医療機関の指定を受けて休む暇なく診療というリスクを取り続けておられる先生もいらっしゃることに大きな救いがあると思う。改めて感謝の意を表したい。

 

22023年2月023年2月

​2023年2月

利益剰余金・留保利益って何だろう?

 『新版財務会計論』(四訂版)に執筆・引用文献表の作成してくれた木村先生、山崎先生と話す機会に恵まれた。その際の雑談で話題になったことは、以前、利益剰余金・留保利益に税金をかけようと言う提言がなされたことがあったという、そのことである。会計上の利益と税法上の課税所得とは完全に一致するものではない。しかし、ごく大雑把に言ってしまえば、会計上の利益は課税済みのものがほとんどであろう。それらの会計上の利益の留保分に課税すると言うことになれば、過去に課税所得に算入された部分は二重に課税とされるということになるだろう。

今、社会的に大きな問題となっているガソリンに関して二重課税が存在するのではないかということがよくいわれる。ガソリンはガソリン税が(揮発油税及び地方揮発油税)課され、さらに、消費税が課されるから、二重課税が行われているのではないかといわれるのである。むろん、国税庁は、ガソリン税はガソリンの生産者や販売者に対して課される税であり、消費税は消費者に課される税であるから二重課税ではないという。だが、ガソリンの消費者の観点からいえば、メーカーや販売者がそれらの税をガソリン価格に転嫁すればそれらの税金が課された後の価格でガソリンを購入するのであるから、二重課税と感じることがあってもおかしくないようにも思われる。

 閑話休題、世に内部留保利益(過去の課税所得に算入された利益で留保されたもの―以下同様)に対して、それを課税対象化すべきだという議論が提起されるのは、会計学を学んだOB・OGに採っては笑止千万であろう。それは過去の企業の利益であって、社外流出しなかった部分を指しており、会計上の利益剰余金である。だから、OB・OGにとってはこの利益剰余金に対する課税にはガソリンの場合のような意見の相違が生じる余地はないはずである。課税と言った様な考え方が出てくるのはどうやら会計学を熟知していない人達の中から出てきたものと思われる。「剰余金」「留保」と言った用語から生じる誤解のようである。剰余金や留保は余った使途自由選択性資金で金庫の中にそれに相当する現金が貯め込まれていると考えられているようである。単式簿記で、現金の収入と支出の差を以て剰余金あるいは留保金と考える向きには確かに「あまりもの」と感じられてしまうだろう。「余剰現金としてのあまりもの」であればそれには課税して良いのではないかという考え方が出てきてもおかしくないのかもしれない。

 しかし、企業会計は複式簿記に基づく会計である。企業の金庫の中や金融機関への預け入れ資金をいくら探してもそれに相当する現金として存在しているものはまず皆無であろう。例えば販売が行われた瞬間には、確かに現金あるいは流動性の高い資産(現金等ということにする)で利益は実現しているだろうが、通常であれば、時の経過とともに企業の維持や発展ために投資され、それ相当の現金等は既に自由選択性資金として存在していることはないのである。その意味では留保利益とか利益剰余金といった用語そのものが問題であったということもできようが、さて、ではどのような概念・用語が用いられるべきか、考え込んでしまう。会計は「ビジネスの言語」ともてはやされた時期があったが、会計の世界でだけ通用するものでどうやら会計人の独りよがりであったのではないかとちょっと寂しさを感じた日であった。








2023年2月
睦月
「グレゴリオ暦(新暦)を採用する以前、日本は月の満ち欠けを基準とした『旧暦暦(太陰太陽暦)』を採用しており、睦月は陰暦(太陰太陽暦)の1月を意味します。
陰暦(太陰太陽暦)では、大月30日、小月29日と、月の日数が年によって異なるため、グレゴリオ暦と月が一致せず、1か月程度のズレが生じます。
つまり、陰暦の1月である睦月をグレゴリオ暦に当てはめると、1月下旬から3月上旬頃を指すのです。
睦月の読み方、意味・由来・語源
睦月は「むつき」と読み、その意味・由来・語源にはいくつかの説があります。もっとも有力な説は、睦び月(むすびつき)が「睦月」に転じたというものです。
睦び月とは、仲良くすること・仲睦まじいこと・互いに親しみ合うなどの意味を持つ「睦び合い」の宴を、お正月に家族や親族が集まる月に行うことが由来です。
ほかにも、「始まる・元になる月」である「元月(もとつき)」が転じて「むつき」になったという説、稲の実を水に浸す月である「実月(むつき)」が転じたという説などがあります。」(https://boxil.jp/beyond/a5363/
 
 新暦の1月と旧暦の睦月とはその始まる日も期間も違うというので本来わが国で現在用いている暦での1月を睦月というのは間違っていることになる。中国は2023年の正月(春節)は1月23日である。春節の中国民の大移動はよく知られたところである。現在の中国は「ゼロコロナ」を「ウィズコロナ」に変更したのではないというが、現実には「ウィズコロナ」と言って良いほどに行動の制限は緩和されたという報道が相次いでいる。このような行動の制限緩和でコロナの新規感染者数は公表数を遙かに超えるような激増となったことであろう。ゼロコロナ政策で、コロナ感染者を抑えていたことでコロナウイルスに対して自然免疫を持つ人々が少なく、ワクチンは有効率が高いとされているmRNAではなく、必ずしも有効なものでなかったため激増は当然のことと予測された。このような方針の転換がなぜ生じたかについてはさまざまな意見があろうが、ゼロコロナからの制約から解放されて自由が良いと喜ぶ人々が報道されていた。
 ところで自由というと「自由と平等」と言って平等という言葉が対になって出てくるような気がする。だが、完全な自由と完全な平等というのは両立できるものなのだろうかとフト思う。私は、それが両立できるようにするためには、自由と平等の意味内容特定化する必要があるであろう。私が密かに考えていた両語の意味内容は、平等=「機会均等」ではないか、自由=「無制約な機会選択可能性」ではないかと。むろんアクセスする機会が均等であってもアクセスする能力や初期条件が異なれば機会均等の意味は制約されるから、特定対象に関してそれらが一定であるという条件がつけられなければならない。また、無制約な選択の可能性は特定の対象ごとに一定の制約を受けながらの機会選択可能性でなければならない。正に独断の極みであるが、もし両者を矛盾なく両立させることが必要であり、両立させることに価値があるものであるべきとすれば、上記のように対象の特定化と一定程度の譲歩というか妥協を想定する必要があろう。こうして、必ずしも両立しないと思われる二つの概念にcompromiseやsympathyを導入することで両者間の対立が自己制御し得られれば、つまり上記の引用の「仲良くすること・仲睦まじいこと・互いに親しみ合うなどの意味を持つ『睦び合い』」ことができれば、実現できるのではないかと、新年の睦月に考えた次第である。相変わらずの独断と偏見の塊で、やや脱線気味であると言われそうであるが、齢83歳、だからもう許してもらえるかな?
 
 
 
2022年12月​
日光角化症
 
  皮膚疾患の一つとして日光角化症というものがあるという。廣瀬寮二氏によれば、それは次のように示されている。「solar keratosisまたはさらに広い光線スペクトラムを含めたactinic keratosis (AK)と呼ばれる疾患の邦訳であり,欧米,本邦ともにAの方が多用されている。 (中略) 1958年のPinkusによる詳細な病理組織学的検討から, AKとは日光紫外線により生じた毛包間表皮の基底細胞に異型性を示す表皮内癌と捉えられている。」(廣瀬 寮二 「日光角化症」https://www.jstage.jst.go.jp/article/skincancer1986/18/2/18_2_106/_pdf
 私の場合は鼻の中央部に紅斑ができた。それは痛くもかゆくもないが、時折まるで火山のように噴火口が生じ、水疱を作る。これが破れてカサカサ、ざらざらした状態になるという症状を繰り返したので皮膚科医の診察を受けた。診断は細胞診をしない限り確定的なことはいえないけれど「日光角化症」と思われる、ということで「ベセルナクリーム」という塗り薬を投薬された。そして隔日(月水金)朝夕二回その薬を塗布するように指示された。最初二週間で塗布した後に診察を受け、続けて二週間の塗布が指示された。四週間が1クールの抗がん剤(?)塗布のようである。四週間後にその薬の効果を見たのだが結果は芳しくないので悪性リンパ腫の際に治療を受けたと同じ病院を紹介されてその皮膚科に行った。
 診察に関しての私の理解では、組織検査(生検)を行いその結果によって
  
 1.ベセルナクリームの塗布の第1クールは終わっているので四週間の第2クールを  
  行う
 2.患部の液体窒素による凍結治療を行う
 3.入院して手術と植皮を行う

 のいずれかの方法を考えるということで11月の27日に生検が実施され、今月の2日に結果が出る。
 未だ悪性リンパ腫が「寛解」の状態で無罪放免というわけでもなく、また長年付き合っている原発巣の癌の腫瘍マーカーが着実に上昇しているのに、またも新たな癌(上皮内新生物)となると……。何やら癌にすっかり好かれてしまったことになる。日光角化症は老人に顕著に現れる病の一つだそうだから、致し方ないにしても、すべての老人にというわけではないのだから何も私に付き合ってくれなくても、とつい愚痴りたくなる。
 




2022年11月
遅ればせながらの謝辞とお詫び

 HOMEPAGEを新しくしたのですが、googleの検索で上手く出てこないので、いろいろとインターネット上を探索していたら、内川菊義「発生主義会計に対する見解と引当金」『同志社商学』第49巻5・6号(1998年3月)という論文を見つけた。何を隠そう私が会計学の道に入るにさいしてのtriggerはこの内川先生が与えて下さったと言っても過言ではないのである。いきさつはこうである。
 新卒時に某国立大学で医学を学べるように受験をしたが、失敗した。高校の進学指導先生から「おまえは性格上浪人して再受験する方法は避けた方が良い」という助言にしたがい同志社を受験した。当時同志社大学の商学部は「医学進学課程」をいうコースを持っていたからである。もっぱらその準備に余念がなかったというのは単なる言い訳だが、商学部であるから、簿記論は必須科目であった。余り勉強をしないで受験したから当然のことだが「赤点」、よって再履修を余儀なくされた。その時の簿記論ご担当の先生が内川先生であった。悔しかった。再履修では絶対に満点で合格してみせると心に決めて簿記を一から勉強し直した。必死に勉強した結果をもって例題などを解いて見るともともと好きな理科系科目とくに大好きな教科であった数学を解いたときの快感と類似点があることが分かり、簿記の面白さに取り憑かれたようになった。もちろん期末試験では所期の目的を達した。二年次の終わりに決めることになっていた三年時以降のゼミに会計学を選んでいた(もっとも、新卒時の志望校への二度の受験に失敗したことも言っておかないといけないが)。それが私が会計学を志して40数年取り憑かれたように学んだ出発点であった。ゼミの根箭重男先生には勉学指導、論文指導、進学指導などなどご迷惑をおかけしてしまったのにご生前に研究者の道への入口に行かぬままに終わってしまった不肖な弟子であったことをお詫びすべきであろうが、切っ掛けを作って下さった菊川先生にまずもって御礼申し上げることが大事であろうと思う。
 このような意味での恩師である内川先生のご論考を拝見して私の論文「制度会計論の二つの基本的視点」や著書『最新財務会計論』を克明にお読み下さり、私の考え方が岩田巌先生の『利潤計算原理』における貨幣動態及び財貨動態の継承でありながら、一致する部分と必ずしも一致していない部分とがあると喝破された。喝破された一致しない部分は、実は、私が意図的に岩田先生の理論から私見への変位を試みた部分であり、それを的確に見抜いていてくださっていた。それだけでなく、私の変位に伴って生じた疑問点をも指摘して下さった。私としてはむろん意図的な変位であるからそれなりの根拠があると自負しているのですが、内川先生のご論考は1998年3月であり、私がご論考に気付いたのが複数の癌に冒され続け学会を完全に引退し、気力と公表する場をなくしてしまっている昨日(2022年10月30日)であったため正に御礼と疑問点にご返答申し上げる機会を失してしまった。内川菊義先生に対して本当に申し訳なく、横になっている時間が多く体力的に適わぬことながらお会いして御礼とお詫びを申し上げたい気持ちです。ホームページ上ではありますが深く深く御礼とお詫びを申し上げる次第でございます。

 
2022年 10月
 
PET-CT
 悪性リンパ腫の寛解の状態が続いていたが、最後の抗がん剤投与から1年が経過し、腫瘍マーカーも基準値内で安定しているのでPET-CTを、ということになった。
 PET(positron emission tomography陽電子放出断層撮影)は18F-FDGという放射能を含有する薬剤を静脈注射により体内に投与し、それをカメラで画像化するものだそうである。この検査の5時間ほど前から絶食し、18F-FDGを注射し、ほぼ1時間安静する。筋肉の栄養もグルコース(ブドウ糖)であるから運動すると筋肉にブドウ糖が集まってしまう。放射性薬剤はグリコースと類似の性格を持つものを含んでいるので運動した筋肉に放射性薬剤も集まってしまうことになる。そうするとその部分で放射線を多く放出することになり、癌と誤診してしますことになるからである。
 では癌はどの様にしてPETの特殊なカメラに捉えられるのであろうか。癌細胞は大量の糖を栄養素として増殖する。この糖に放射性薬剤は反応して癌組織に集合し、放射線を放出する。これを特殊なカメラ撮影し、癌組織の存在を知らせることになる。しかし、PETはがん細胞の存在は認知するが、その形状は示さないので、形状を把握するためにCTと併用される。
 PET-CTは細長いドームの中に可動式のベッドで入る。その騒音はかなりのものであるが、MRIの方がすごいように思う。問題はそれではない。私は高所恐怖症と閉所恐怖症気味の性向持つ。そのドームの中で行ったり来たりの移動はするものの閉所内にいることには変わりない。二度目の経験であるが経験によって心理的に軽減されるものではなく前にも増して大きな恐怖を感じた。本当にながい、ながい、なが―い、そして深い恐怖の30分であった。
 結果は今月初旬に分かるとのこと。悪性リンパ腫に関しては問題ないと思うが、別の癌組織が写り込んでいるはずである。もっとも小さいものは映りにくいというし、ブドウ糖代謝の低いものは上に書いたように放射線を放射が弱くなるいので判別できないようであるから、映り込んでいないかもしれない。ともあれ、悪性リンパ腫の癌組織が消滅していてくれることを今は祈るのみである。あの抗がん剤治療は「地獄」である。
 
 
 
 
 
2022年9月
 
9月といえば

 9月と言われると中秋の名月(十五夜)、秋分の日といろいろと思い出すことがある。十五夜というのは、旧暦の八月十五日ということで、「秋の真ん中に出る満月のことをさし、現在の暦では9月7日〜10月の8日までに出る満月のことをそう呼びます」(http://ongjong2323.com/?p=8472)とのことである。
 満月ということになると、わが国では、月を見上げてその美しさを愛で、うさぎが杵を持って臼で餅を槌いている姿を見る。そんなロマンを抱いているのはひょっとして高齢化社会の中での高齢者だけかもしれない。
 しかし、このうさぎの模様は海外でいろいろなものに例えられているといわれる。うさぎ説は日本中国、韓国であり、インドではワニ、モンゴルでは犬、ベトナムでは大きな木とその下で休む男性、米国では女性であったり、ワニやトカゲ、カナダではバケツとそれを運ぶ少女、中南米ではロバ、ヨーロッパでは大きなはさみを持つカニ、中東・アラビア地域では、吠えているライオンなどなどであるということである。(詳細はhttp://latte.la/column/79025249参照してください)。
 ところが、最近では宇宙技術の発展により月に着陸したり、月を周回する軌道上の衛星を飛ばし克明な写真、特に地球からは見えない裏側の写真すらも撮られて実態が把握されつつある時代である。上記http://latte.la/column/79025249によっても明らかにされているように、「白っぽいところはクレーターが多く、髙地になっている場所。黒っぽく見えているのはすべて『月の海』とよばれる低地です。かつて月に巨大な隕石がぶつかった際、地下から玄武岩のマグマが噴出。クレーターを埋めてしまったのだと考えられています」とのこと。
 むろん、私は科学を進歩させ、不可解な事象や現象に関する真理の探究すすめ、事実の発見を推し進めることを強く支持するものであり、科学の進歩を否定するつもりはない(四十数年も研究者の端くれたらんとしてきたので)。しかしながら、やはり、月の模様に関していえば、私はロマンをもとめ、うさぎの餅つき説をとりたいと思う。
 
 
2022年8月

趣味の世界
 私が最初パソコンに触れたときには、OSはCP/M(Control Program for Microcomputers)とよばれるものであった。パソコンはNECのPC-8000シリーズであった。いまにして思えば、プロセッサはすぐに16bitCPUに取って代わられたが、8(いまは64かな)bitCPUであったと記憶している。コマンドで操作するものでコマンドには DIR,REN,TYPEなどがあった。それはその後にでたMS-DOSのコマンドと同じものであった。時代は、確か1970年代であったと思う。
 MS-DOS(Microsoft Disk Operating System)はmicrosoftがCP/Mを参考にしながら86-DOSを、そしてPS-DOSをMS-DOSとして発表したのではなかったかと思う。昔のことで記憶は定かではないが、大きな誤りないもの思う。しばらくは今のようにアイコンはなく、このMS-DOSのコマンドを使ってパソコンを操作していた。今のOSでも影に隠れてこのコマンドは生きている。
 そして、忘れもしない1985年にmicrosoftが画期的とも言えるwindowsを発表したのである。私はこのwindowsを30年以上使い続けていたが、2021年に子供達もすべてそうだったこともあり愚息に言われてMacbook Airへと乗り換えたのであった。乗り換えは80の手習いで大いに苦労し、持っていたwindowsソフトを無駄にすることにもなった。特に残念だったのはwindows1以来使い続けていたJustsystemの「一太郎」を使えなくなったことであった。ATOKはMACでも使えたのでパスポートに変えて使い続けている。microsoft officeはwindowsでも使っていたのでMacbook Airではそれを使うことにした。windows版と大きな使い勝手の相違は感じられず、このソフトは使い続けている。最近はwindowsではどうだったかと言うことを考えずMacbook Air単独思考(?)で対処(もちろん万全とは言えないが)できるようになってきた。
抗がん剤の副反応の影響だろうと思うのだが倦怠感が続いて起きていられず寝てばかりいる私がやり得た唯一のことかもしれない。それにしてもパソコン歴半世紀、思えばよくやったものである。周りからはここまで来ると「もはや趣味の世界では」と言われている。

後日譚
 先月の電力危機の話はようやくマスコミも政府も言い始めたようです。やれやれやっと電力、エネルギー問題を認識してくれ、危機感を共有してくれたかと安堵の気持ちを持ちました。だが、非常に残念なことに岸田首相の談話は事実認識に関して余りにも甘く、あの発言内容では冬の電力危機は決して避けられないはずです。その後の訂正発言もありません。一国の首相の発言をチェックする機関は政府内にないのでしょうか。
 それからいま一つ要望したいのは外交に熱心なのは決して非難されるべきではなく賞賛されるべきですが、内政の重要さも同様ではないかなとフト感じさせる箇所が時折ありますのでその点もご配慮願いたいということです。
ともあれ首相発言に対するチェック機能の不在にはなんとなく恐ろしさを感じますね。


2022年7月

 電力危機-電力の安定供給

 今夏,今冬は酷暑・酷寒が予想されることから国は「注意報」の発出や違反企業に責任を問うと言っている。違反企業の違反の内容にもよるがそれが本来なのかとふと考えた。
 電力の安定供給は具体的には各発電会社の責任であるといえるかもしれない。しかし、国民の安全を守り抜く責任は本来国の基本的な責任ではないのだろうか。他国による侵略も国民の安全を脅かすものですから国に責任が問われることになるだろう。ではエネルギー政策の誤りによって国民生活が危機に瀕する危険があろう。電力の停止が送電会社の事故によるものであればそれは送電会社の責任であろう。しかし発電設備の問題は国民の生活(インフラと言えば、「電気」、「ガス」、「水道」、「通信関係」、「交通関係」と言われるが、通信関係や交通関係(鉄道など)でも、電力なくしては機能しないものばかりであるから電力こそ最重要目ではないだろうか。わがマンションは停電となると水道停止をも意味する。だから電気がなければ何もできない生活と化してしまっていると言える。)、企業活動の安定性を考えれば、安定供給の責任は本来国家的な責任の問題であろう。経済産業省、資源エネルギー庁は電力政策をきちんと立案を設計・管理するための官庁であるのではないだろうか。
 誤解があったらお許し願いたいが、もし、そういった国策に関する立案と監督の責任があるとすれば、電力危機を引き起こしてしまった際に「注意報」や「警報」を出すだけの機関ではないはずであり、自らの失策を糊塗し、みずかの責任を回避して電力会社(発電会社)にその責任を転嫁しているように思われてしまう。
 この近況報告をアップする日は参院選挙の渦中であるが、物価高騰の重要性や電力節約に伴うポイント付与の批判は行われるが、肝心な国民生活や経済活動に直結するエネルギー問題そのものや電力の安定供給が問題にされることが少ないのはなぜであろうか。各政党の取り組みを是非訊きたいものである。

2020年6月​
白内障手術
 80歳を超えるとほぼ100%白内障になると言われているようですが、私もその例に漏れず、常に視界すべてに春霞がかかっているような状態に悩まされました。眼科医の診断は白内障、手術必要ということで入院の上手術となりました。手術は局所麻酔で点眼と眼球への注射で行います。手術そのものは特段の痛みはないのですが、先生と助手の方との会話が逐一聞き取れ、なんとも奇妙で、不安です。手術時間は標準的には10分程度で終わると言われていましたが、私の場合にはちょっと難しいところがあり、少々時間がかかり、20分近くかかったようです。終了後、厳重に眼帯をつけられ、1時間の安静を命じられました。手術後の話しで、癌治療のことを聞かれましたので、それが悪さをしたと感じられました。翌日の朝には眼帯をとってくれましたが、遠くにある非常口のライトがくっきりと見え、まさに「感動もの」でした。これで一件落着!と言うわけではありません。これは片目の終了です(完全終了ではなく、三種、朝昼晩就寝前の4回の点眼があります)。いま一つの目は、いったん退院して12日後に手術となります。しかし、両目が同じように復活したら本当に感動でしょうね。
 後日談:左目も順調に終わり、手術時間は標準的でしたが水晶体嚢が弱っていたようでちょっと大変だったようです。後は13日に眼鏡ができればそれで終わりです。

 
 
 
2022年5月

経済的制裁
 ウクライナ侵攻に伴って西側諸国は、ロシアに対して経済的制裁を加えた。ロシアの人道に反する各種の行動に対する対処、第三次世界大戦の回避のためには、不可避の正当性を持つ決して否定できない行動であると思われる。しかし、その経済的制裁は制裁を受けて然るべき「国」に対して行われるべきものであろう。この「国」というときその国の内容はいかなるものなのであろうか。国の機関?国の指導者?国を構成する国民全体それとも非人道的行動に加担した人々?
 現に行われている経済的制裁は非人道的な行いをした指導者の属する国の国民に対するものであるように思われる。むろん、そのような指導者を選んだ国民にその責を負わせるという考え方はあっても良いのかもしれない。真の民主主義国家であり、思想・表現の自由は言うに及ばず必要な自由な意思決定や自由な行動がすべて国民の手中にあり、何らの制約もないとすれば、である。そのような場合であれば、指導者を国民の自由意思で選択できるのであるから、そのような指導者を選んだ国民に責を負わせることに異論はないように思われる。だが専制国家では果たしてその指導を選んだのは国民と言い切れるだろうか。そのような国家に対する経済的制裁が国民に及ぶとき果たして正当と言えるのであろうか。おそらく当の指導者にはその経済制裁は何の意味を持たず弱者である国民の対する制裁としかなり得ない場合である。
 いま一つの現実の世界に生じている問題点は、経済的制裁が非人道的な行為を行った国の国民、経済的制裁を行っている国民に対して経済的な制裁を加えているという現実である。経済的制裁を実効あるものにするために加害者である国及びその国民はさることながら制裁を科そうとしている被害国及びその国民、公正な第三者である国々の国民に経済歴制裁を加えることにならないかということである。
 具体的には、ドイツ等の欧州の天然ガス問題はその危険性を孕んである。ロシアの天然ガスを購入しているドイツ等の国あるいはその国民は経済的制裁を加えられるべき対象ではないはずである。だが、非人道的な行動を行っている国から大量の天然ガスを購入しなければ経済活動が行えず、国民生活が著しく制約されるというような場合、非人道的行動をとる国に対して経済的制裁を加えることから生じた報復的処置によって天然ガスが入手できないという制裁が生ずることになる。そのような経済制裁が行っても自国にそう言う報復的制裁が生じない国あるいは国々国際世論という形を用いて天然ガスを停止されることになる経済的制裁を加えるよう強制し、停止される国々は国民生活に重大な影響を持つために経済的制裁に加われず、従うことができないということを考慮せず天然ガスの購入を行うことに対して強い非難を集中させ、購入を中止させようとする行為が行われるような場合である。それは制裁を受ける謂われのない国に対して謂れのない制裁を受けろといっているに等しいのではないだろうか。もし、報復的制裁を受けても経済的制裁に加われと強要出来るとすれば、天然ガスを停止するという報復的制裁を無効にできるように、天然ガスの停止を補う量の天然ガスをロシアに代わって補給するか、事前にこのような問題が生じるであろうということが分かっていたならば、忠告しそのような問題を回避するように忠告すべきであったのであり、それを現段階で過去に予測できなかったことを責め立てることは公正ではないと思われる。例え、非人道的な国に抜け道を与える結果になろうとも、謂れのない経済的制裁を受けて良いということは決して言うべきではないと私は思う。せいぜい言えることはなんとか考慮して早い時期にそのような事態を脱却するように努力して欲しいと言えるだけではないかと。
 
 
 
2022年4月
強迫観念
 今や、ロシアのウクライナ侵攻(侵略?)は全世界に混乱を引き起こしている。この侵攻のそもそもの原因に関しては以下のような指摘がある。孫引きを承知の上で引用しておく。
 「米ジョージタウン大学の安全保障研究センターで上級研究員を務める元中央情報局(CIA)高官、ポール・R・ピラー氏は、最初に問題となる行動を起こしたのは欧米側だったと指摘する。
『関係悪化のきっかけになったのは、ロシアに対する欧米の態度だ。ロシアはソビエト共産主義を放棄した国として、ふさわしい扱いを受けなかった』とピラー氏は語る。『新たな国際社会に新生国家として迎えられるべきだったのに、実際はソ連の後継国と見なされ、欧米から不信の目が集中する国という位置づけを引き継いでしまった』
これが、言ってみれば原罪だった。欧米はそのうえ北大西洋条約機構(NATO)の拡大に熱中し、まずポーランドやチェコ、ハンガリーといった国を取り込んだ。ソ連の支配に長年抵抗してきたナショナリズムの伝統を持つ国々だ。
 しかしNATO拡大はそこにとどまらず、旧ソ連の一角をなしていたバルト三国のような国にも及んだ。この結果、今度は旧ソ連のジョージアやウクライナまで欧米の勢力圏に入るのではないかという恐怖感をロシアが抱いたとしても、何の不思議があるだろう――と、専門家たちは指摘する。
要するにロシアには、自分たちが冷戦終結以来ずっと不当な扱いを受けてきたという思いがあるのだ。
これはもちろん、欧米側の通説ではない。欧米ではウラジーミル・プーチン大統領に代表されるような、ロシアの「報復主義」に注目する見方が強い。そのプーチン氏は、ソ連崩壊を20世紀「最大の地政学的悲劇」と呼んだ人物だ。
米シンクタンクの専門家の間では、どちらの説が正しいかをめぐり興味深い論争が繰り広げられている。欧米が新生ロシアへの対応を誤ったという初期の戦略ミスに注目すべきか、あるいはロシアが近年ジョージアやシリア、ウクライナで取ってきた強引な行動に目を向けるべきか、という論争だ(https://www.google.com/amp/s/www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-37983764.amp)。
 
 どうやら、ソビエト連邦という専制国家の崩壊で民主主義国家への歩みを始めようとしたロシヤを欧米諸国の誤った対応がその芽を摘んでしまい、孤立状態の中での独自の発展を追求せざるを得なくなったという考え方(プーチンの欧米国国への不信感醸成説)と世界を二分しての冷戦の一方の盟主ソビエト連邦の復活追求説とでも言おうか)とう考え方の二説であると言えるだろう。
 しかし、素人考えでは、このふたつの考え方は相互排他的ではなく実は底流で連結しているように思われる。当初はNATO加盟すら考えていたプーチンに欧米諸国に対する不信感を植え付けてしまったこと、NATOへの対立機構であったワルシャワ条約機構は消滅させたのにNATOは存続し続けたばかりでなく、むしろ拡大の一途をたどり、未加入国は緩衝地帯と考えたのに、それがNATO加盟国となって、ロシアが強迫観念に駆られる事態を産み出してしまった。
 このことが欧米諸国への不信感を増幅させたとともに、自国の強大化を志向させ、かつて世界を二分したソビエト連邦の栄光の復活をひたすら追求する結果となったと言えないであろうか。とすれば、欧米諸国にもそのような事態を生み出させるような振る舞いがあり、責任の一端があると言えなくもないであろう。
 しかし、例えどの様な理由があろうとも、一国の領土を圧倒的な軍隊をもって侵略、蹂躙し、多くの避難民を生み出し、国土を破壊し、あまつさえ無差別の殺戮をして良いという理由は全くなく断固糾弾すべきことと思う。プーチン大統領の病気説やら狂気説やらが唱えられているが、私は冷徹な誤った思考回路を現実化している正気(?)の振る舞いであろうと考える。   
 それだけに北方領土で隣接し、その言について真偽のほど明らかでなく「フェイク」であるかもしれず、確証は得られていないがわが国の先住民族は実はロシア国民だと強弁しているといわれるプーチン大統領に思いをはせるとその先住民族(ロシヤ人)を救出する必要を訴えることがあるかもしれないといえ、すこぶる強迫観念を掻き立てられる。単なる杞憂であることを祈るのでのみある。かの国ではこのような記述は直ちに「削除」されてしまうでしょう。 
 思想・表現の自由というのはありがたいものだと今さらながら思います。
 
 
 
 
​2022年3月
主観、客観、間主観性
 ピークアウトしたのではといわれながらもなおオミクロンが猛威を振るっている。感染力は強いが重症化率も死亡率も低いといわれたが、死者数は増えている。しかし、その分感染者は大幅に増えているのだから志望者数が多くても死亡率そのものは低いと言われるのである。したがって、過去の新型コロナの各種の株の時ほど気にする必要はないとさえ言われる。これは客観的に見れば、まさに「その通りであり、事実として認めなければならない」、そう言えるのだろう。
だが、低い重症化率や死亡率を仔細に見て見ると高齢者及び基礎疾患のある重症者が死亡者の中で占める割合が著しく高く、90%を超えているのである。ということは、高年齢層、基礎疾患のある人達にとって重症化率や死亡率は大いに気になるのだが、低年齢層、基礎疾患のない人達にとっての重症率や死亡率はそれ以前の新型コロナウイルスの時の第一波から第五波のときほど気にならず上記のように「客観的」に見られるのであろう。つまり、自己が関係するかしないかで「率」の高低の受け止め方は変わるのではないだろうか。言い換えれば、死亡率の高い高齢者及び基礎疾患のある人々は客観的な事実であることは認められるが、「気にする必要がない」という主張には懐疑的にならざるを得ないだろう。主観的に「率」を考えることになってしまうのではないかと思う。ここに客観性の難しさがある。判断者が置かれた位置により客観から導かれる主張には主観に基づく判断が入り込むはずであるからである。客観的に見ればそうだろうけどそれに基づく推論(判断、主張)に関しては同意できないと言うことになるだろう。そこには数字のマジック、統計のマジックが潜んでいるからである。
そんなときに間主観性(intersubjectivity)というものが出てくるように思われる。「ある事柄が間主観的であるとは、 二人以上の人間(人間でなくてもよいが)において同意が成り立っていることを指す。 ... この状態は一般に、主観的であるよりも優れており、 客観的であるよりも劣っているとみなされる。 たとえば、 世界中の人々が何が美しいかに同意していても、 美の基準が客観的かどうかはわからない。」(https://plaza.umin.ac.jp >wordbank    KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
 
今月の近況報告はいつものとちょっと趣が違うように感じたことと思います。回復ぶりをこれで判断してもらおうという心づもりなのです。ピント外れかもしれませんが、少しは思考能力(?)の回復が見られるでしょう?
 
 
 
 
 
2022年2月
 ようやく抗がん剤治療を終え、リハビリ期に入りました。抗がん剤の副作用と運動量の壊滅的減少による20kgの減量のため、体力回復に全力を尽くすことから始めましたが、副作用の悪影響から完全には逃れ得ていませんので 気力・知力・そして
いまだに体力の回復は遅々として進まずにいます。
 この影響のため歩行可能距離も短く、深い思考などはとてもできない状態が続いていますが、日常生活は少しずつとはいえ回復に向かっていると思います。数ヶ月かけてこの状態になりましたので、回復にも時間がかかるものと覚悟しています。
 こういう事から『新版財務会計論四定版』の改定は山田康裕先生(立教大学)、市川紀子先生(駿河台大学)、吉田智也先生(中央大学)、木村太一先生(多摩大学)および山崎順子さんにお任せしてしまっていて容易に私自身が参加できない状態が続いており、ここしばらくはその状態が続くものと思われ、皆さん(とりわけ編者の役割を担って下さっている山田、市川両先生)には本当に申し訳なくて申し上げる言葉も見つかりません。また、予定通り4月までに刊行という目的での改定、ほぼ実現できるとうかがい公務・校務にご多忙中の諸先生方に衷心より御礼申し上げたく 思います。
 それにしましても、抗がん剤というのはなんとも強力でそうでないと抗がん剤とはなり得ないのでしょうが死んだ方がマシと思うことがおお袈裟ではなく何度もありました。副作用からの解放も思ったよりもずっと長期に及びそうです。
 こういう暗い近況報告は今月までとして3月には日常生活には不自由のない生活に戻れるものと確信(期待?)しています。オミクロン株が猛威を奮っている様子、皆さん、くれぐれもお気をつけください。
 
 
 
2022 年 1 月 
十数年続いている癌にくわえ,昨年半ばからいま一つの癌を抱えることになってしまい,その治療が尾を引き,いまもって,その副反応に苦しめられている。これなら死んだ方がましと経験者が語っていたことを何度も実感した。既に体重の減少は20kgを超えてしまった。このことから体力の著しい減退に見舞われただけではなく気力すらも失ってしまっている。なんとか寛解が近いと思われるまでになったが,まだまだ先行きは明るくないのが現状である。
 なお,拙編 『新版財務会計論(三訂版)』2019年10月1日がありがたいことに会計学界で非常に好評であったようで,在庫僅少となり,出
版社から増し刷りか改定かの判断を求められ,四訂版とすることを決意して取りかかった。質問と提言を下さっていた立教大学の山田康裕先生に新たに参加して欲しい旨を伝え無理押しして引き込んだ。進行途中で,上記の病のため「編」すら十分にできないこととなり,山田先生と市川紀子先生に実質的な編者をお願いし,吉田智也,木村太一先生も継続して参加して下さり,山崎順子さんも引き続き文献整理等で協力して下さり,私は最後の通読をさせてもらうことにし,現在進行中である。非常にていねいな改訂作業を進めてくれておりかなり大幅な改訂版として予定通り4月以前に四訂版が刊行されることになりそうで感謝にたえない思いである。

 
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はなび
​長男の初代の愛犬
​下の二枚は二代目の愛犬「ゆず」

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ゆず

長男の2代目の愛犬

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戯れ言

2010年12月からしばらくこの頁はお休みとなっています。

過去の戯れ言は下記のURLに再録してあります。

http://pub.idisk-just.com/fview/k9ki4Vm3h9UYjB7fLhQ-GA6fyTRs7DG7IsNbNsm9N_ltVKLOKSdKXg



2020年11月
繰延資産――具体的考察2

 本年8月に繰延資産の基本的な性格を考え,翌9月には繰延資産の具体的な問題を考察するつもりであった。しかし,体調不良で十分に論じきれないまま終わってしまった。81歳の誕生日までにこのやり残し「負債」を返済しておきたいと思った。
 ここでは,まず,これまでの考え方のまとめをした上で,具体的項目について考えてみよう。その際「混合(測定)属性システム(=時価会計)」において,資産に関する基本的な考え方は,IFRSの概念フレームワークを前提に据えて検討することにする。ここでまず,考えるべきことはIFRSでは,資産は経済便益(これを利益と名付けている)を産み出す潜在的能力を持つ権利であり,それは経済的便益を化体した経済的資源に対する権利であると言えるだろう。この権利は「法によって保護される利益(経済的便益-(注) 井上)としての権利」であるとされることから,背後に「取引契約」の存在が想定されていると言える。そこでの取引契約は具体的には,売買契約,交換契約,使用契約,譲渡契約等である(9月の「戯れ言」を参照されたい)。このことから明瞭になるのは,必ず契約の相手が存在すると言うことである。と言うことは,1対1,1対多,多対多の契約を含んでいることになる。言い換えれば,相対取引もあり得れば,市場取引もあり得ることになる。そうであれば,売手が取引時点で受け取り,しかもそれが満足できる主観価値(キャッシュ・インフローの割引現在価値)と買手のその財(財貨/用役)を取得して将来時点で受け取りうると想定する経済的便益(将来キャッシュ・インフロー)の取引時点での割引現在価値(主観価値)が一致すれば,取引が成立する。買い手の側ではそれが取引時点でのキャッシュ・アウトフロー(支出=取得原価)と言うことになる。さもなければ取引は不成立となるはずだからである。繰延資産の取得に関連して言えば,取引契約の結果としての買手の経済的便益に対する権利は買手の主観価値が客観価値に転化して成立することになる。だが,それは取引時点の正にその一点でのことであり,相対であれ一般市場であれ,均衡価格がその後いかに変化しようとも転売の目的を持たない限り購入者にとってその変化は何の意味もない。すなわち,取得した経済的資源は資産汎用性を持っていた経済的資源が当該企業とって「資産特殊性」を持つ権利・経済的資源へと転化したことになる。このような観点から具体的な項目の検討をしてみよう。その資産性の判断規準は,(1) 経済的便益(最終的には将来キャッシュ・インフロー)をもたらすか(経済的便益を確定的にもたらすものに限るのか蓋然性の高いものをも含むかについて厳格な検討が必要であろう),(2)経済的便益に対する権利は売買,交換,利用,譲渡等の法的な取引契約を基礎としているか,(2)取得原価が将来の経済的便益の割引現在価値を表現し得ているか,であろう。なおこれらは必要条件であるからすべてを充足する必要がある。
 まず第1は,株式交付費,社債発行費,創立費,開業費である。これらは株式の発行を可能とし,企業を創設させ,営業の開始を可能としたものである。それに伴い企業は資金を調達でき,創業し,開業を可能としたものである。しかし,これらによって取得した経済的便益は既に費消されてしまっている。と考えるならば,それらは産み出される将来の利益(経済的便益)とは直接の関係はない。それは資金を運用するという別の活動,あるいは企業活動によって新たに産み出されるものである。例えば株券を印刷したり,目論見書を作成してもそれだけでは将来の経済的便益とは直接関係を持たないと言うことである。こうして,第一の要件を充足しない。よって,資産性を持たない。
 第2は,開発費,研究開発費である。企業会計基準委員会の「実務対応報告第19号」によれば,新技術又は新経営組織の採用,資源の開発,市場の開拓,生産効率の向上又は生産計画の変更等により設備の大規模な配置換を行った場合等に支出した費用であるとされ,支出時の費用計上を原則とするが,繰延資産として計上することも許容している。これらの支出によって得た財が経済的便益を齎しうるかであろうか。新技術の採用,資源の開発,市場の開拓等に関して言えば,それらが将来の経済的便益を齎す可能性はあろう。すなわち,第一の要件を充足する可能性はある。しかし,それらのうち市場の開拓,資源の開発については現在の法的権利を裏付ける取引契約が明示できるか否かについては疑問が生じ得よう。
 この開発費に関しては「研究開発基準」において変更が図られた。それによれば,「新しい知識の発見を目的とした計画的な調査及び探求」を「研究」とし,これを資産計上することは認めず,さらに「新しい製品・サービス・生産方法についての計画もしくは設計または既存の製品等を著しく改良するための計画もしくは設計として,研究の成果を具体化する」ものを「開発」とし,これもまた資産計上を否定する。
 IAS38は,「事業ベースによる生産または使用の開始以前における,新規のまたは大幅に改良された材料,装置,製品,工程,システムおよびサービスによる生産のための計画または設計の,研究成果または他の知識の応用」を「開発」ととらえる。一定の基準をすべて充足する場合にのみ,この開発から生じたものは無形資産として計上しなければならないとする(para59)。その一定条件は以下のようなものである。IAS38はいう。研究開発費のうち一定の条件を充足する場合の開発費は資産性を認める。その条件の内容は完成させる技術上の実行可能性(feasibility),それを使用または売却する企業の意図,使用または売却できる能力保有(ability),市場の存在または使用の場合には有効性の立証,完成後使用または売却に必要な技術上,財務上およびその他の資源の利用可能性,測定可能性である。IAS38ではこれらは,この「戯れ言」で示したIFRSの概念フレームワークにおける資産の要件,とりわけ取引契約を背後においての実現性の高い蓋然性をも含んだ具体化とみることができる。しかし,それは資産性を示すものであるが,IAS38はそれを「無形資産」とする。よって,「繰延資産」ではないことに注意しなければならない。
 以上の観点から言えば,混合(測定)属性ステム(時価会計)の場合,繰延資産として計上する資産はないことになる。それはなぜであろうか。実は,この計算体系下では,それは論理必然性を持つと言える。なぜならば,繰延資産は取得原価主義会計の下でこそ意味があるものであり,混合(測定)属性ステムの場合にはその必要性を認めないからである。取得原価主義会計はしばしば「平準化システム」であると言われる。この平準化システムの意味は利益操作を想定しがちだが,それを意味するものではない用語であることに注意すべきである。周知のように,取得原価主義会計は基本的には損益計算重視の計算体系である。その場合の損益計算は,W.A.Paton & A.C.Littletonが『会社会計基準序説』で明らかにした{努力と成果の対応}を通じての利益の計算が主目的である。企業努力とその成果をその他の要因の作用によって真の純成果を混濁させてはならないのである。したがって,費用の問題で言えば,多期間にその効果が及ぶべき支出は一期間の費用とすることなく努力と成果の対応の観点からは平準化して,努力と成果による利益を真の努力と成果による利益を表現するため努力と成果に直結しない費用を真の利益の増減に作用させない工夫である。これを費用の中立化という。 取得原価主義会計の論理はこの意味で繰延資産を不可欠のものとしたのである。だからこそ,経済的便益の増減を認識・測定の対象とする混合(測定)属性ステムの場合には,経済的便益の増減に関する,時期,金額,不確実性を重視するのであって,繰延資産の存在は必然とは言いがたいものとなるのではないだろうか。

 10月に11月以降の「戯れ言」を一時中断するとしましたが,冒頭に書いたように,81歳を迎えるにあたって遣り残しはしたくないという思いに到りました。繰延資産とされていたものの中には,当初は,1,2の繰延資産ではなくても資産性のあるものがあるのではないかと考えていましたが,結果的には,経済的便益をもたらす高い蓋然性を認めても1つになってしまいました。そこに至って,混合(測定)属性ステム(時価会計)における繰延費用の存在の非必然性を述べることに躊躇する必要がなくなりました。ただ,毎日少しずつ前日までに書いたものを検討することなく追加だけをする形で書いていきました。一気に書き下ろしたものではないので,全体としての斉合性に不安が残っています。お気づきの点あれば指摘してもらえれば幸いです。
ということで12月以降は「戯れ言」はお休みになると思います。

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​ラスタ

長女夫婦の愛犬


業績一覧

業績(著書、論文等)はWikipediaの「井上良二」の項にも書かれています。詳細な論文等の目録は下に記載した「論文等の詳細」のURLにPDFファイルで纏めてあります。ご参照ください。

 

論文等の詳細(PDFファイル)

 http://pub.idisk-just.com/fview/OZ8lprcV4O6ZUI0w2MYTC9RYSXcmdct48TkjPaPR79KRJC1xzur3dIU-qMD4Mz0X



近年の著書・論文

 著書

 『新版財務会計論三訂版』税務経理協会から2019年10月1日付けで公刊され、幸いにも好評で2年半ほどで「重版」の申出をもらったが、いくつかの改善すべきと考える点がすでに頭の中にあったため改訂をお願いし、税務経理協会から快諾を得ることができた。その四訂版は2022年4月25日に刊行された。井上は編者に専念し,具体的には,山田康裕教授、市川紀子教授,吉田智也準教授,木村太一専任講師が著者となって執筆される予定で進んでいたが私が病を得て三校までの校正作業には参加できず、一度の通読しかできず、編者の役を山田教授と市川教授とにお願いすることになってしまった。

 四訂版で本書の完成度は顕著に高まったと感じている。(1)どうなっているか,(2)それはなぜか,(3) それでいいのかという問題意識を常にもつことの必要性を常に念頭に置くことは変わりないが,編者と四人の著者との間で共通の認識を持って本書を完成させるという試みが行われた。その共通の認識とは財務会計の社会的機能と目的(資源配分機能=投資意思決定目的に資する情報提供)と八つの前提である。それらにしたがう限り一つの体系化された財務会計理論が論理的に導き出せると考えたのである。もし読者が仮に前提の一つを異なるものと変えたときどの様な理論的変化が生ずるかという論理的実験が可能になるようになっている。社会的機能およびその下での目的の変更は計算の体系,例えば,取得原価主義会計から時価主義会計あるいは時価会計(混合属性ステム)への変化をもたらすことが理解されることであろう。このような書はこれまでどなたも試みなかったものであると考える。ただし,三人の著者には多くの犠牲を強いたことになる。社会的機能や目的はたまた前提に関してそれそれの著者が異なる見解を本来持っているであろうのに強いて特定の目的と前提の下に統合して理論展開してもらうという思考訓練を強いたからである。陳謝と感謝の辞をここに捧げるものである。


 本書の成り立ちを振り返ってみると改訂版は2014年4月に刊行された。旧著のupdateということを当然として、取得原価主義会計と対立的に、それとは別個の独立した計算体系である時価会計を明確化することを試みたものである。独立の計算体系としての時価会計を首尾一貫した論理で貫くことを心がけている数少ない書の一つでであると自負している。論理的な首尾一貫性を保つということの意味を明らかにすることによって単なる暗記ではなく、思考・推論の方法を体得するように学習者を導きたいと願ったものである。 2011年10月1日 「わが国の会計基準とグローバル・スタンダード」 『會計』 180卷4号,10月号   わが国の会計基準は取得原価主義を中心として一部に時価を評価基準として導入するという「混合属性会計」であると考えられている。グローバル・スタンダードも取得原価と時価主義とを混合する会計であるがその考え方は全く異なることをまず解明することにした。前者は取得原価主義会計の延長線上で考える会計であり,後者は資産の属性をキャッシュ・インフローで統一的に捉えるという意味で「単一属性会計」とでもいう会計である。この相違はどこから来るのかを明らかにしようとしてものである。    2008年10月『新版 財務会計論』 税務経理協会   論理的な思考と現実の分析能力を養うために財務会計の全体の理論体系を明示したものです。企業価値の評価に関する情報を提供することを財務報告の目的にした場合にどのような計算構造を持つ計算体系が採用されるはずであるか、そこでの資産、負債、純資産、収益、費用、利益はどのようなものになるかを書きました。  12月26日に企業会計基準委員会から新企業結合会計基準が公表された。それは短期コンバージェンス・プログラムの実施に伴うものである。確定されたものは持分プーリング法の廃止など大きな変更を含んでいるが,基本的な考え方である取得原価主義会計の延長線上に位置づけるという考え方には変化はないようである。それは,逆に言うと矛盾を含んでいる危険性があると言うことでもある。この基準の公開草案の内容は,井上修君の協力を得て著書『新版財務会計論』に収録してある。公開草案と新基準との相違点は一点であると思われる。それは同書488頁の最後の段落の部分であり,被取得企業が支配を獲得される前において取得企業の関連会社であった場合には,支配を獲得するに至った個々の取引後との原価の合計額をもって被取得企業の取得原価とするとされていたものが,他の場合と同様に連結財務諸表では企業結合日の時価をもって算定されることになった点である。したがって,当初のもくろみ通り,同書は現段階で最新の内容をもっているものといえる。

この本に関して
https://www.amazon.co.jp/%E8%B2%A1%E5%8B%99%E4%BC%9A%E8%A8%88%E8%AB%96-%E5%AD%94-%E7%82%B3%E9%BE%8D/dp/4419060662/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1519720473&sr=8-1&keywords=%E4%BA%95%E4%B8%8A%E8%89%AF%E4%BA%8C&dpID=51RwKN7IiiL&preST=_SY291_BO1,204,203,200_QL40_&dpSrc=srch#customerReviews
で私の本を紹介してくれました。ありがたいことです。(4月10日追記) 2007年10月「金融商品会計の理論的基礎」、柴健次編著『テキスト 金融商品会計』 中央経済社、第2章  現行の財務会計を情報提供機能への貢献という形態で考えたときの計算体系はどのようになるはずであるのかを考えたものである。従来の取得原価主義会計や理論上の時価主義会計と異なり新しい計算体系としての時価会計(公正価値会計)がそこには存在するに至ったことを認識するべきであると考えた。その計算体系は取得原価主義会計の貨幣の流れでも時価主義会計の効用的な価値の流れでもないキャッシュ獲得能力としての価値の流れ(キャッシュ・フロー)を認識・測定対象とする計算体系であると捉える。このように捉えてこそ、新しい金融商品会計は理論的に整合的な理解がえらことを指摘している。この場合の公正価値は将来キャッシュ・インフローの割引現在価値で表され、時価(市場価格)はキャッシュ・フローの金額・時期・不確実性に関して取引当事者、したがって市場で合意された場合の割引現在価値であり、割引現在価値の特殊な一つとして理解される(会計基準では市場価格が主で割引現在価値はその代替的な手段として位置づけているようであるが。

正誤表  24頁  下から10行目 だが、同時に、経済的状況の・・・      下から9行目  一つであることも・・・   25頁  上から13行目  利益により利害関係を・・・      上から16行目  一般には、それは・・・ 28頁  上から12行目  (1)時価会計のもとでの認識と取得原価主義会計・・・                                                   

論文

 2007年3月 「キャッシュ・フロー情報と発生主義会計」」『会計プロフェッション』第2巻  企業会計基準委員会の討議資料「財務会計の概念フレームワーク」によれば、現代会計における財務報告の目的は企業成果の予測と企業価値予測であるとされる。この企業成果の計算、報告は、従来のような企業所得の配分を巡っての利害調整のためというよりも、企業価値予測に役立つことが強調されようとしている。企業価値は、DCF法によって計算されるとするのが一般的であることから、企業のネットキャッシュ・インフローの予測が重要であることになる。そこで問題になるのは、企業成果とキャッシュ・フローとの関係である。FASBは発生主義会計も利益(実績)から将来利益を予測し、その利益を基にしてキャッシュ・フローを予測するという2ステージプロセスを提唱する。本論文は、これを取り上げて、キャッシュ・フローと発生主義会計との関係を問うたものである。

2006年12月01日 「混合測定属性会計のモデルの合理性」 『會計』170巻6号 12月号  財務会計の機能を投資意思決定のための情報提供機能、とりわけ企業価値の予測を可能にするような情報の提供機能と考え、その提供を目的と想定した場合に、財務会計の構成要素中には、時価評価に馴染むものと原価による測定に馴染むものとが存在することを明らかにし、それ故に、時価と原価とが混在している会計の計算体系が合理性をもつことがあり得るということを探求したもの

2006年03月25日 「公正価値会計の下での棚卸資産評価基準」『会計プロフェッション』第1巻  たな卸資産に低価基準を強制する際の考え方は収益性の低下と言うことである。だが,この収益性を論拠とする考え方には,なぜ収益性の増加については認識しないのかに関する論理が展開できない。また,その際採用される時価,正味実現可能価額は将来販売されるかどうかに関するリスク(収益の認識に際してのリスクからの解放において問題とされる事業リスク)もキャッシュ・フローのパターン(特に時期)を考慮しない測定値である。このような問題のある低価基準の強制的な適用を現代の会計制度の論理の中でどのようにして正当化しうるのかを問題にしたものである。    

2006年03月09日 「財務会計の変革」『企業会計』58巻2号(2006年2月号)  最近の会計の基準は従来の『企業会計原則等』をそのままとしながらそれに優先して適用される諸会計基準を公表するのが常になってきている。むろんそれらは討議資料概念フレームワークを参照しながら策定されていると思われる。なぜそのような形をとるのだろうか。それは従来のいわゆる取得原価主義会計と異なるものとして制定されているのだろうか。それとも取得原価主義会計の延長線上にあるのだろうかという点を問題意識として分析したものである。結論は、従来のものの延長線上では解決できない論理を含んでいるというものである。企業価値予測のための情報提供は従来の取得原価主義会計では困難であると考えるのである。

2005年05月06日 「会計理論上の経営活動観と財務諸表の構成要素」 『産業經理』65巻1号 2005年4月  この論文は、現在の財務会計が、企業の何を表現しようとしているものなのか、企業をどのようなものとみているのかという問題を考えたものである。わが国の近年の会計基準を設定している団体である「企業会計基準委員会」のワーキンググループが昨年の夏に作成・公表した「討議資料 概念フレームワーク」(http://www.asb.or.jp/j_asbj/begriff/)を検討の対象としながら論じたものである。

2004年07月01日 「計算体系と収益の概念・認識・測定」  『JICPAジャーナル』 2004年7月号  近年における時価評価の導入によって、従来の取得原価主義会計は変質を遂げたのか、取得原価主義会計の延長線上に位置づけられるのかはいまだ論争の最中にあるといってよい。本稿は、時価主義の導入が取得原価主義会計を変質させ新たな計算体系を生み出しているという考え方に基づき、その新たな計算体系の下での収益の概念、その認識・測定問題を論じたものである。  

以下の書評は『最新財務会計論』ではなく『財務会計の基礎理論』(中央経済社)に関して感想を書いてくださったものです。AMAZONの掲載誤りです。書評ありがとうございます。

https://www.amazon.co.jp/product-reviews/4502127523/ref=acr_unrec_hist_5??ie=UTF8&filterByStar=five_star&showViewpoints=0

 




論文等の詳細(PDFファイル)

 http://pub.idisk-just.com/fview/OZ8lprcV4O6ZUI0w2MYTC9RYSXcmdct48TkjPaPR79KRJC1xzur3dIU-qMD4Mz0X

講義資料・その他の研究業績

財務会計論の講義資料を公開します。当初、パスワードを付していましたが、解除の希望が多く寄せられましたので、完全公開としますが著作権を放棄したわけではありません。窃用している人がいるという連絡を受けたことがあります。悪用しないでください。

※必要に応じて上記URL(アドレス)をクリックしてください。ファイルはプレゼンソフトのファイルです。クリックをしても飛ばないことが稀にあるようです。その場合には、恐縮ですが,URLをコピーし、ブラウザのURLを指定する欄に貼り付けてクリックしてください。

計算体系類型論・体系図
http://pub.idisk-just.com/fview/JnUASlsQa4j5N4sjOjjKGFHlLOE_p85Ovo4pvLv0NvjdGmLYBenf8OuSJ9kao3Z8pw3KtxAVyc7nqfYsioVc3kviPYom7LpG

佐賀大学講義

http://pub.idisk-just.com/fview/RKUgeOCqpR44KBQtwXWyfMgmqOnsnlFCAN8TJUrmFDy9RQ5Lkk-rUFvSQeoODDdlHKlrYaOhUeTG2quhClu4CA

財務会計論(勉強会)

http://pub.idisk-just.com/fview/8jtrUeDM4kmiwP1ZUAUQ7xmjrbagGNwQJKg8OlucV0VPusgzDFWMACNYCDYqK2D0lmKEO_WtgasdUGIFjFSmAExAV_-sGQJ8IE-icF5YFWM


駿河台大学http://pub.idisk-just.com/fview/mINL9XA8s2VPsmiRK3hBfpq7itc1vyrCrFiayd-PG-XMwyMS5Zmv1cg-a9ScGk9nWy-74kwDGXTRFEYJKoOlQQ

大阪経済大学http://pub.idisk-just.com/fview/If4qFDqEWrT32SJdRWv1Ahl3dT0jNWOy4YUNn1c6ECgwCSWa0YFLzDTNaM1_po5jEW7qF_mRfIKu9joIjvuTalj5aD1ls3hk


財務会計論

http://pub.idisk-just.com/fview/LQQdSMcddBFb0eAmepr_aCATLUqcWbhf4cfei04qfSy6vyAd2UW7W-7qwIBiEgNVf63


『新版財務会計論』改訂前の正誤表。改訂版の訂正は現在一箇所です。最近の著書・論文のペイジを見てください。

http://pub.idisk-just.com/fview/2lJMNWMUzCmg74sR6CxMPgONfhBSDF7jxFtmaNXulj_GH9Y3cZw2Y4rN8DfRam_d


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  右のうさぎは娘夫婦の初代のペット「ビー」

   リビングのカーペットを食いちぎるのが特技

    だった。


 

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妻が愛したうさぎのクー

花を手折るの図 

 

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